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 アーベルの風    No.203     2011年4月

三陸沖大地震と大津波
 3月11日午後2時48分、三陸沖で起きたマグニチュード9.0という前代未聞の大地震と大津波は、一瞬のうちにいくつもの町を壊滅させるという恐ろしい大震災になりました。死者・行方不明者は2万人にのぼり、家族や家・車・家具・大事な思い出などすべてを失った被災者の数は数十万人。日が経つにつれ、その爪痕のひどさが次第に明らかになり、増え続ける死者と行方不明者の数を報道する新聞の見出しと、被災地に呆然とたたずむ被災者の映像に、胸がつぶれる思いの毎日です。

東電・福島第一原発の連続事故 それに加え、福島原発の事故の連続と東電・政府の対応の不手際に、被災者はもちろん、国民と世界はいらだちと不安を募らせています。原発の『安全神話』が完全に崩れ、放射能汚染の危機が現実のものとなった今回の出来事は、原発推進を進めてきた日本のエネルギー政策の転換が強く求められる事態です。
 特に、1号機・3号機の水素爆発の際の東電の説明を聞いていると、何とか事故を小さく見せかけようとする東電の姿勢を感じ、どうも信用できませんでした。東電は政府(政治家)と太いパイプで結びついているからか、事故初期の政府の発表や説明も歯切れが悪く、国民の不安の解消と安全のために最大限の努力をしているとは思えませんでした。半径20キロ〜30キロの住民に避難指示を出し、各国のメディアがこの事故の深刻さを報道するようになって、ようやく死にものぐるいの姿勢が伝わるようになりました。
 とにかくとにかく、命がけで作業している人たちが無事役目を果たされ、人類の知恵と技術力のすべてを駆使して、一日も早く危険の除去・安全の確保を心から願います。

あやふやな情報と集団心理
 3月15日の新潟例会の日、会場へ向かう途中立ち寄ったスーパーには、カップ麺やパン類がすべて売り切れ、レジは長蛇の列でした。ガソリンスタンドには給油を待つ車が長い列をつくり、1台につき10リットルの制限がかけられていました。聞くところによると、乾電池なども全く残っていなかったそうです。
 翌日から計画停電が始まるとはいえ(実際には行われませんでしたが)、不安に駆られて買い占めに走る人たち。それにつられて「乗り遅れるな!」「今のうちに!」とばかりに、かごいっぱいに食料を積み込みレジに並ぶ人人人・・・・。翌日には普段通りに戻ったものの、集団心理の怖さや、あやふやな情報に振り回される人間の弱さを感じました。現代日本人の「自分で考える力」が衰えているのではないか、それが、「周りを見てそれと同じ行動を取る」風潮を強めているのではないか。考えすぎでしょうか。
 インターネットをはじめ、情報を手に入れる手段は格段に進歩しました。私の子ども時代は、わからないことがあると、苦労しながら自分で調べたり解決の手段を考えるのが普通でしたが、今は、インターネットの検索ですぐに答えを手にできます。困ったことは、親や教師が親切に教え手助けしてくれます。そちらの方がずっと早いし失敗や回り道など、「無駄」な時間と経験を省略できます。(「無駄」だとは思いませんが・・・・)
 効率優先の社会の中で、失敗や試行錯誤をくり返しながら自分でつかみ取っていくよりも、教え込まれ、いつの間にかそれを疑うことなく受け入れることに慣れてしまい、自分で考え判断する力が衰える。その結果、まわりの雰囲気に簡単に染まり、集団心理にたやすく巻き込まれ、知らず知らずのうちに思わぬ状況をつくりだしてしまう。それはとても怖い社会だと思います。
 不登校の子は(もちろんいろいろなタイプがありますが)、自分を見つめ自分で考え判断する時間と経験が豊富です。流れに乗れず不器用でも、まわりに左右されず、自分なりの価値観と判断基準に従ってじっくり考え慎重に行動する、大事な力の持ち主が多いのではないでしょうか。流されやすい今の社会に警鈴を鳴らす、そんな貴重な存在なのかもしれません。

何をくみ取り、何ができるか。どう生きるか。
「夢であってほしい!」。誰もが願った3月11日の出来事は、辛いけれど夢ではなく現実です。なくしたものや失ったものはとてつもなく大きく、どんなにがんばってもそれを取り戻すことはできません。
 私たちにできることは何なのか。くみ取るべきは何なのか。 決して当たり前ではない「生きて、普通に生活している」私たち一人一人が自らに問いかけ、それぞれなりの答えを見つける重く大きな課題に向かう歩みが始まりました。亡くなられた方々へのご冥福を祈り、亡くなられた方々や、今この瞬間も被災地で辛い時を過ごしている方々に思いをはせながら、どう生きていくかを問いかけつつ4月からの新しいスタートを切らなければならないと、自分に言い聞かせています。



先月の例会から


Aさん
高校入試前日の夜までは(受験に)行くつもりだったのに、当日「自信がない」と行くのを渋った。何とか説得し、別室受験によって合格できた。「(普通教室から)受験生の声が聞こえて、自分も頑張らなくちゃ」と思った」と帰ってから報告してくれた。同じ中学からは誰も行かないので、全く新しい環境でスタートできる。生まれ変わったつもりで頑張ってほしい。

Bさん
 小学校1年生の秋から中学卒業まで学校に行かず、中卒後1年家にいた後、通信制高校を4年で卒業。去年の春AO入試で大学に入った。大学に入るまでは本屋で本を買うこともうまくできなかったが、大学に行ってからいろんなことを自分でやれる(やる)ようになった。
 2年3年ということではなく、長い目で考えることが大切なんだとしみじみ思う。小1で学校に行かなくなった頃は、20歳になったときの姿なんか、想像はもちろん考えることもできなかった。20歳になった娘を見て、ちゃんと成長するんだなぁなんて、当たり前のことにあらためて教えられている。学校に行かなかった頃は、正直「なるようにしかならないんだよな〜」と、あきらめ半分の気持ちで自分に言い聞かせていたのも事実だけど。

Cさん
 息子はまもなく大学1年が終わる。離れた土地でのひとり暮らしは心配だったが、友達もでき、同好会の活動を楽しみながら、スムーズに新しい生活に入ることができたようで安心していた。だけど、前期に比べて後期は欠席が多く、落とした単位が結構あって少し心配。春休みで帰ってきたのでそれとなく聞いてみたが、本人は口が重く、なにがあったのか、どうして欠席が多いのか、よくわからない。

 素直でまじめな子、まわりからよく「いい子」といわれている子は、目標ややることがはっきりしている場合は、多少の困難があってもがんばれるけど、自分で課題を見つけて取り組むことは得意じゃないタイプが多いかもしれないね。目標が達成されたり、目標が見えなくなると、なにをしたいのか、どうしたらいいのかがわからなくて立ち止まってしまう。Cさんの場合もそうなのかもしれない。本人には、いろいろな世界を見せたり経験させたりして、焦らずじっくりと自分のやりたいことや進みたい道を考えさせてあげたいね。

Dさん
 中学を卒業した長女は、高校入試前日の夜までは「受験する」と元気だったのに、当日の朝起きてくる気配がない。起こしにいって「どうするの?」と聞いても布団をかぶって出てこない。(やっぱり無理なのかな・・・・)とあきらめ半分で中学校に連絡したら、学年主任が保健室の先生を伴ってすぐに駆けつけてくれた。娘といい関係ができている保健室の先生が部屋に入り、一生懸命本人をほめ励まし、10分くらい説得してくれた。すると、全く動かなかった娘が、布団から出て着替えはじめた。結局ギリギリで受験会場に着き、別室で受験、午後の面接もこなして、ニコニコの表情で会場から出てきた。結果も合格できて、4月から新しい生活が始まる。
 中学を卒業して、本人はホッとしたようだ。1つ踏ん切りがついたのかなと思う。それにしても、子どもを認めてくれる先生がいてくれるって、本当にありがたかった。

Eさん
 不登校の子の中には、今回の地震・原発事故とそれらの報道に、苦しんでいる子がいる。先日かかわりのある不登校の子から、「何かをしたいんだけど、どうしたらいいかわからない。すごく苦しい」という電話をもらった。感受性が強く優しい子が多いから、悲惨な状況を伝える映像を見たり、辛い思いをしている人のことを考えると、「何もしてやれない」と自分を責めたり、苦しんでしまう。



 2010年度 会計報告
  
 収入       前年度繰越金  78,357円
 会費  159,000円
(2,000円×79口+1,000円)
 カンパ  18,000円
 市教組から補助  30,000円
 利息  21円
 計   285,378円
 支出          たより送付代  88,720円
 インク・用紙代  14,740円
 封筒代  13,370円
 茶菓子代  7,445円
 全国連絡会会費+送料  5,080円
 交通費補助  20,000円
  事務用品  4,206円
 会員へのカンパ  10,000円
 計   163,561円

285,378円−163,561円=121,817円

残高121,817円は、2011年度へ繰り越させていただきます。