アーベルの風 No.204 2011年5月 東日本大震災から私たちがくみ取るべきことは 東日本大震災から1ヶ月半が経ちました。 3月11日の2時46分、私の学校では6時間目の授業が始まったところで、私はランチルームで修学旅行の学習ビデオを見せようとしていました。テーブルの下にもぐりこんで感じた数分に及ぶ横揺れに、ただごとじゃないと感じていましたが、あの日から今日まで、何もかも私の想像を遙かに超える震災になっていることに、胸がつぶれる思いです。 とりわけ、大地震、津波、原発事故、風評被害と、四重苦に見舞われた福島県太平洋側の人たちの悲しみ、苦痛、怒りは、言葉に言い尽くせないものだと思います。 これほど大きな日本の災害は、私の人生の中で最大のものですし、私が教えている生徒たちも同じです。私自身はもちろん、毎日テレビや新聞のニュースで被災地の方々の様子を目にしている生徒一人一人が、他人事ととらえず自分のこととして受け止め、震災から大切なことをくみ取り、自分は何ができるかを考えるよう働きかけることが、まず私ができる大事なことだろうと考え、今年最初の「学年だより」に次のようなメッセージを生徒(と保護者)に発信しました。 中学3年生のスタートにあたって Think globally Act locally 3学年主任 西 伸 之 新3年生のみなさん、進級おめでとう!平成23年度の大形中は、新しい仲間、○○さんを迎えて137名でのスタートになります。春はいつも希望に満ちあふれ心浮き立つ季節ですが、今年は特別な春になってしまいました。 3月11日に起きた東日本大震災は、地震・津波・原発事故が重なり、死者・行方不明者が2万人を超えるというみぞう未曾有の大惨事でした。いつ終わるともしれない避難生活や放射線の恐怖に、何十万人の人たちが、今も苦しみと不安のまっただ中にいます。死者や行方不明者の中には、君たちと同じ中学生も多数いました。親を亡くしたり、家や家財道具、大切な思い出の品々などをすべて失い途方に暮れている中学生のことを考えると言葉もありません。 そんな忘れられない春に、君たちは中学3年生になりました。 この大惨事をま目の当たりにし、君たちは何を感じたでしょうか。何を決意したでしょうか。 3学年のスタートにあたり、何よりもまずそのことを自分自身に問いかけ考えてみてください。 自宅から400mも離れたがれきの下で見つかった2歳の娘の口の泥を、泣きながら指でかき出していた母親、洗って乾かし祭壇に置かれた小学校の卒業証書・・・・、どれだけの人が、不明の肉親を捜し、壊滅した町や海に向かって、名前を叫び続けたことでしょう。 今この瞬間も、絶望のどん底から立ち上がろうと必死になっている人たちや、生きることに懸命の力を振り絞る人たちがこの日本にいることを忘れてはなりません。 そして、地獄のような光景に「何かできることを!」と立ち上がった人たちが、日本はもちろん世界中にたくさんいましたね。寄せられた支援やメッセージは、人は人から希望をもらい支え合って生きる存在であることを、改めて私たちに教えてくれました。 私は、見るのがつらくなる悲惨な映像に言葉を失い、残された人たちの悲しみや悔しさに泣き、それを支え懸命にがんばるたくさんの善意に何度も何度も胸がいっぱいになりました。 学ぶにはあまりに大きすぎる犠牲だったこの大惨事から、今衣食住に不自由なく、勉強もスポーツもやろうと思えば自由にやれる私たちができること、しなければならないことは何かを自らに問いかけ、自分の人生に生かすことこそ、悲しみを希望に変える力になるのではないでしょうか。 被災地の人たちや今も避難生活をしている人たちが、繰り返し語る言葉、「普通の生活をおくれることがどれだけ幸せなことか」の言葉をしっかりかみしめましょう。毎日を大事に大事に過ごしましょう。この1年間、勉強も、部活も、行事も、自分が関わるすべてのことに一生懸命取り組み、自分という人間の心と体を大きく成長させましょう。それが、今君たちができる最善の支援であり、未来への希望をつなぐ力になります。 困難に負けず復興に向けがんばっている被災地の方々のことを心にとめ、Think globally Act locally(シンク グローバリー アクト ローカリー=物事を大きく考え、身近なところで行動する)の精神を学び成長していく君たちを、1年間しっかり応援します。一緒にがんばりましょう! 3学年の最初の学年集会で、私は学年だよりに載せた上の文をゆっくり読み上げました。私語ひとつせず私の読み上げる文を真剣な表情で聞く彼らの姿に、自分なりに震災をしっかり受け止め考えようとしている気持ちが伝わってきて、とてもうれしかったです。この子たちと一緒に歩んでいく喜びを感じた時間になりました。
Aさん 中3の6月から行けなくなった。それまではいろいろなことにがんばり、学級の代表をやったりして、「学校に休みの日がなければいいのに」と言っていたのに・・・・。勉強のプレッシャーや周りの期待に応えようと必死にがんばってきたエネルギーが切れてしまった感じ。塾での成績低下でクラス替えになったことや、成績が思うように伸びなくなったこともきっかけだったかもしれない。とにかく「できなければダメ」の思い込みがすごく強い。 5歳の時、夫が病気で亡くなり、下に双子の妹もいたし自分も生活のためにがんばらなければと必死だったので、本人は子どもらしくいられなかった。「いろんなことをずっと我慢していた」と、不登校から1年くらい経った頃、母親にぶつけ荒れた毎日が続いた。中学を卒業し私立高校に合格したが、そこは生きたかったところじゃなく、入学前の登校日に行っただけで、結局入学式も出ずにやめてしまった。定時制高校に去年入学したが、そこも「周りがうるさくて勉強できない!」と1日しか行かず、今年また1年生からやり直し。 昼夜逆転し、部屋から出ない時期や、親が作った食事には手をつけずコンビニで買ってきたものだけを食べる時期もあったが、最近ようやく落ち着いてきた。 「今の状況、変えたいと思ってるの?」と聞くと、「そう思っているから復学届を出したんじゃない」と返してくるが、昨日まで登校の準備をしていたのに、結局京は行かなかった。昼夜逆転や半病人のような彼女を見ていると、どうなるのかと不安で不安でたまらない。昼間、家には誰もいないから、本人には居心地がよすぎるんだろうか。だから行動しないんだろうか。 カウンセラーには、「お母さんの不安を子どもで解消しようとするのはやめてください。お母さんはお母さん自身の人生を歩んで、自分の不安を解消してください」と言われるが、私自身の不安はどうしたら解消できるのだろう。子どものことが気になって、何をしても楽しくないんです。 カウンセリングでも、「待ちましょう」「1つでもできたことを認めてあげましょう」とアドバイスされるけど、成長を感じられないし、認めようと思っても、こんな状態で社会に出られるんだろうかと不安の方が強くて。どちらかというと過干渉・過保護なんだと思うけど、私自身動いていないと不安になるタイプで、「何とかしなくては」「何とかしてあげたい」と思って動くが、ことごとくうまくいかない。待てないのは、親の不安なんでしょうね。 私も、「自分ほど心配性の親はいないんじゃないの?」と思うくらい、何年も何年も悶々としてきた。でもこの悶々は。子どもに伝わってしまうことがわかってから、そんな自分を変えなければと思うようになったよ。 子どもの将来のことが不安になるのは、親なんだから当然だし、私もそうだよ。そういう自分を否定しないことと、そこから出発しないと。 春が近づくたびに、期待し、裏切られ・・・・、それの繰り返しのなかで、「こんなものか」とあきらめの境地に達するというか。私の場合はそんな感じだったなぁ。 私も春は嫌いになった。周りでいい話を聞くとムッとするし落ち込むもの。 肩の力を抜くことができないんですよね。そうやっていろんなことを乗り越えてきたし、「母子家庭だから」と言われたくなくてがんばってきた。だから、肩の力を抜いちゃったらどうなっちゃうんだろうと不安なんです。(Aさん) 今回の震災で、「ボランティアの方のがんば顔晴りをみて元気になりました」と被災者の方が話していたニュースがとても印象に残った。周りの笑顔が元気をくれるんだなぁと。 Bさん 20歳の長男は、サポート校に在籍していたが、3月末に「オレ、更新しないよ」とやめてしまった。夫は息子の進路について一切ふれないつもり。「何かやりたいものができたら応援する」という夫の姿勢に、息子も自分もゆったり構えられるようになっている。最近は、ゲーム、パソコン、読書の毎日。 受験の時期、食欲がなくなり弱っていく長男を見て、何とかしなきゃと、おにぎりを作ったりいろいろ世話を焼いたりした。でも、「本人が苦しんでいるときはチャンスの時期なんです。本当に困ったら自分で何かを求めるもの。そこまで行く前に親が手を出してしまうことが自立の力を奪っているんですよ」とカウンセラーに言われたことがあった。そうなのかなと思うこともあるけど、長男くらいの年齢なら、親が手を引く、子離れをしていくのが大事なんだろうなと思う。 17歳の長女は、年末に私立高校を正式に中退し、高認(大検)のために家庭教師に来てもらっている。来年、大学か専門学校に進学しようと思っている。何かしていないと落ち着かない、やっていないと自分はダメだと思ってしまうタイプ。 Cさん 定時制高校も今年で7年目になる。2年間でやっと4単位を取った。今年は3教科授業をとる予定。このままでいいのだろうかと相談したら、「様子を見て、ダメなら別の道も考えていいんじゃないかな。新潟にも若者の自立を支援するさまざまな団体があるから、そういうところにも相談するのも1つの方法だよ」とアドバイスされた。 Dさん 20歳の長女は、地震から気持ちが不安定になり、ジョブトレ(若者自立支援サポートセンターがやっているジョブ・トレーニング=週1回の仕事体験を行う)を2週休んだが、最近また行き始めた。定時制高校には在籍しているが、本人はやめたいと思っている。 Eさん 去年の秋から学校に行かなくなった中2長男。9月の定期テスト後から行きしぶり、10月に入って全く行かなくなった。教育相談センターに相談し、「2年のクラス替えは配慮してもらうよう学校に本人の気持ちや状況を伝えたほうがいい」などアドバイスを受け、学校にお願いして、本人にとって1年の時より居心地のいいクラスにしてもらった。センターの先生も、少しずつ元気になり、4月から行く意思を示した息子を見て、「これなら新年度が始まるのにあわせて登校できそうだ」と判断されたが、結局1日しか行かなかった。2年生になった初日(始業式)は、制服を着たものの、「制服を着たらどーんと気持ちが重たくなった」と行けず、2日目もダメだった。センターの先生の「友だちに誘ってもらいましょう」のアドバイスで、3日目は友だちが誘ってくれたら、嘘みたいにすんなりと登校したが、翌日はまた行かなくなった。それ以降は、日に日にエネルギーがなくなるようで、そんな様子を見ると「これは長くなりそうだ」と不安がふくらんでくる。 無理に行かせるんじゃなく、待つことが大事と頭ではわかっているが、友人に「(本人が行きたくないなら)休ませればいいじゃない」と軽く言われたとき、「何を言うか」とムッときた。「ゆっくり休め」と心から言えない気持ち。 家の中にこもらせるのが嫌で、世の中にはいろんな人がいるし、いい人もいることを伝えたいと思う。中学に入学したときは、すごくがんばろうとしていたのに、5月頃には「オレは学校に絶望した」と言うようになった。1年生の時は、クラスや部活で嫌なことを言われるなど傷つくことが多かった。1年生の時、欠席が続く本人のことで、「どうしたら動くでしょうかね」と担任が尋ねるので、「認めてほしいんだと思います」と返した。すると、その先生は本人に、「○○君、認められたいなら君が変わらなきゃ」と言うのを見てがっかりした。 「小説を書いてみんなを見返してやりたい」とか、「自転車で日本一周したい」と大きなことを言いながらもなかなか動けず、好きなことしかやっていない。 Fさん 小学校1年から行きしぶり、最初は無理やり登校させていたが、2年生の途中からそれも無理になって不登校が始まった。中学に入学して数日登校したものの、行けなくなり、そのまま卒業。校長先生や担任の先生が自宅へ卒業証書を届けてくれ、家で卒業式をやった。定時制高校に合格し、まだ始まって間もないけど登校している。 義務教育の長い不登校で、親も子も傷つくことも多かったけど、それと同じくらいすばらしい先生や人との出会いもあった。不安や焦りをしっかり受け止めてもらえることで、元気や希望をもらい、親子で歩んでい |