京葉線 103系直流通勤電車

 
1、京葉線での103系の歩み
1、1986年3月。京葉線が西船橋〜千葉港(現在の千葉みなと)の営業運転開始時に、山手線205系投入に伴い余剰となった10両固定の103系を京浜東北線蒲田電車区に転属させ、同区のクモハを含む分割編成が津田沼電車区新習志野派出(現在の京葉車輌センター)に転属、それを京葉線用車輌としたもの。基本6両と付属4両の非貫通10両編成で、開業時は7編成存在した。日中は基本編成のみで運転したが、日中の利用者が少なく、開業後しばらくして基本4両、付属6両となった。 海浜幕張を出発する103系
京葉線のクモハ103形 2、1988年京葉線、西船橋〜市川塩浜、南船橋〜新木場間が開業。京葉線電車は新木場〜蘇我間の全線で営業運転を開始。同時に武蔵野線が京葉線に乗り入れを開始した。この延伸に伴い、当時205系が新製投入されていた横浜線などから4+6連3本が転入した。この時期、京葉線にATS-Pの導入が行われ、同線の103系にはATS−Pの取り付け工事が行われている。京葉、武蔵野線に所属していたクモハ103はATS-P取り付けのために、運行灯のあった場所を取り付けスペースとして捻出。京葉、武蔵野線にのみ見られる独特の顔つきになった。またこの開業により、基本編成と付属編成が元に戻されている。
3、1990年東京〜新木場間が開業。205系10両編成12本が新製配置されると同時に、103系4+6連3本が新たに転入した。また、同時に快速運転が行われる事になり、103系には停車駅通過防止装置が取り付けられた。また205系を使用した房総方面の直通運転を開始したが、途中で分割併合を行う東金方面の運用は103系が受け持つ事になった。  
スカートの付いた103系 4、1993年には日中の6連運用を終了。以後全て10両編成となる。また1994年には冷房化率100パーセントや、老朽車の置き換え目的に、AU712による冷房改造や、転入車が発生。この年には103系では初の10両固定編成が登場している。1996年には輸送力増強のために103系10連1本が転入している。1997にはFRP製のスカートが約半数の編成に取り付けられる。このスカートは同線の103系のみに取り付けられたもので、他線には見られない大きな特徴となる。
5、2000年、総武緩行線のE231系投入に伴う201系の京葉電車区転入により、103系は房総乗り入れ分割運用を失う。その後も201系の転入は続き、2002、2003年頃には205系の総武緩行、山手線転入車も加わり103系は3編成にまで減少する事になった。2002年に突如復活した103系10両によるDDM(ダイレクトドライブモーターの略)試験車により、1編成増加するものの、1年足らずで運用から外れた。  
6、2005年9月ごろ、最後まで残った3編成が205系の転入によって相次いで廃車。最後まで残った10両も11月頃に廃車とな り、京葉線から103系は消滅した。現在(2006年)大宮工場に廃車になったクハ103−713が保存されている。 103系の並び
 
2、103系編成写真
ここでは最後まで京葉線に残った3編成の103系を紹介します。
京葉302編成 中間に試作冷房車の一員として登場したサハ103−307を組み込んでいる。両側の先頭車とサハ103−496は貴重な未更新車輌だった。
京葉306編成 10全車輌が更新車。両側の先頭車で、前面窓の更新の仕方が違うのは、東京方面の3両は元ケヨ303編成だったため。
京葉307編成 晩年は先頭車にスカートが取り付けられている唯一の存在となった。妻面窓の閉鎖が変則的なのも特徴。
 

戻る  1 2 3  次へ