長浜鉄道スクエア   
  明治政府は東海道及び太平洋・日本海を結ぶ鉄路敷設を最優先に計画したそうです。明治16年当時、新橋〜横浜と大津〜神戸に
 敷設されたのみで、まだ名古屋にない時代に敦賀〜長浜が開通し琵琶湖の汽船を合わせて列島横断の達成したことにより繁栄した陸
 蒸機の町を展示しています。展示は現存最古の駅舎、長浜鉄道文化館 北陸線電化記念館の3棟から成り立っています。
  古い駅舎もそれなりです。電化記念館は交流機関車ED70形1号機および蒸機のD51−793号機が共に静態保存されています。残
 念に思ったのは、国鉄最後の新製・蒸機で戦後製造され交流電化の北陸線と直流電化の東海道線の緩衝非電化地帯の米原〜田村間
 で運用されたE10の資料展示でもあれば感激ものでしたが見つけることはできませんでした。E10は幹線用で重量が重すぎること、動
 輪がE:5輪で力が強くても径が短いためスピードが出ないので転用先がなく、早い段階で廃車になったようです。
 
 交直機関車ED70形1号機の静態展示です。
 
  明治政府は船と鉄道で太平洋と日本海間の大量輸送手段を確保したとのことです。。
 
  翌年の明治16年には、関ケ原〜長浜間も開通したそうです。
 
  明治33年になると東海道、北陸線ができあがり連絡船は廃止、東海道線も現在の米原ルートになったそうです。
 
  駅舎展示
  パンフレットから抜粋
  
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