◇義誠国術館・最新ニュース | 過去のニュースはこちら | |||||||||
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◇拙著『自強不息』と『太極拳真伝』に対して、数名の人が書評を書いていただいていることが分かりました。 河野義勝 http://teamoon8.exblog.jp/5437323 http://blogs.yahoo.co.jp/arahan60/3699047.html http://d.hatena.ne.jp/bodywise/20070202 http://orange.ap.teacup.com/giron/1.html?b=10 http://bagua.seesaa.net/article/47259278.html |
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◇王樹金老師の月謝は高額だったでしょうか。 よく王樹金老師は高額な月謝を取ったといわれますが、私の知る限りそのような事は御座いません。万金のお金を払って鶉の卵なる秘術を習ったとか、普通の習い事の何倍も高かったとかいう話を、まことしやかに話されているようですが、そもそもこういう人は先生の人柄を知りません。 それよりも鶉の卵とは何でしょうか。よく先生が拳を握るときは掌の中の卵を潰さないようなつもりで握りなさい。と言っておられましたが,そのことでしょうか。であるならば基本の一つであり、秘伝ではありません。 |
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名優谷幹一さんの冥福を祈ります。 朝サンスポのウェブサイトを見たら俳優の谷幹一さんがお亡くなりになられたこのが、掲載されておりました。私はこの方とは浅からぬ縁がありました。王樹金老師の元で稽古を始めたころ、老師を訪ねて光林寺にこられ、太極拳を一生懸命に習得されておりました。私の記憶では、先生がお亡くなりになるまで学ばれていたと思います。私などもずいぶん可愛がってもらいました。この方の太極拳は本物でした。 |
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キモ フェレイラ先生が創始した拳法術は、一切の見せ掛けの技を排除し、いかに相手を効果的に破壊することのみを追及した実戦拳法です。相手と刺し違えて瞬間に数箇所同時攻撃を加え相手を破壊することを奥義としております。 私が始めてキモ フェレイラ先生にお会いしたのは、2 年ほど前のことでした。養神館で開かれていた私の講座に突然お越しいただいたときにのことは忘れることができません。其の時の受講生を相手に凄まじい勢いで攻撃を加え呆然としてしまいました。 先生によると「拳法術の奥義はただ単に関節をはずすといったことはせずに同時に骨そのものを破壊して整復不能にしてしまう。」事だそうです。私見ですが、拳法術はアメリカで有名な武道家ウォルタア・ゴウディン先生やエド:パアカア先生の技をベースに白鶴拳や蟷螂拳などの中国武術沖縄の古武道や合気柔術などの世界の武道を有機的に統合したものに思えます。 この優れた武道を多くの日本の人が理解することを望みます。 最後に拳法術の技をご覧ください。http://www.youtube.com/watch?v=C1WtzPjC1mM |
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郷中教育〔ごじゅうきょういく〕について 薩摩には、400年の歴史をを誇る教育制度「郷中教育(ごじゅうきょういく)」があります。 「仏神他にましまさず人よりも心に恥じよ、天地よく知る。(注人の心に神や仏が住んでいるから、心に恥じるような行いをしてはいけない。)」 「種となる心の水にまかせずば、道より外に、名も流れまじ。(注:欲望の心を捨てて、良心に従って行動すると道もはずさない。)」 「道にただ身をば捨てむと思ひとれかならず天のたすけあるべし〔道のために命を捨てる覚悟となれば、天が助ける。〕」 等々、積善陰徳の大切さを述べたすばらしい文章です。このような教えに触れて育った子供たちは、日本を背負って立つ立派な人になるでしょう。 先日、薬丸宗家と萩原先生のご好意により、家族とともに西郷隆盛と縁の深い四方学舎を訪れ、郷中教育に触れることができました。今回の旅行で郷中教育や自顕流の稽古を体験できたことは、息子にとって生涯の宝となることでしょう。 ・最後に島図日新公いろは歌の全文を紹介いたします。 いにしへの道を聞きても唱へてもわが行いにせずばかひなし 楼の上もはにふの小屋も住む人の心にこそはたかきいやしき はかなくも明日の命をたのむかな今日も今日もと学びをばせで 似たるこそ友としよけれ交らばわれにます人おとなしき人 ほとけ神他にましまさず人よりも心に恥ぢよ天地よく知る 下手ぞとて我とゆるすな稽古だにつもらばちりも山と言の葉 科ありて人を斬るとも軽くすないかす刀もただ一つなり 知恵能は身につきぬれど荷にならず人はおもんじはづるものなり 理も法も立たぬ世ぞとてひきやすき心の駒の行くにまかすな ぬす人はよそより入ると思うかや耳目の門に戸ざしよくせよ 流通すと貴人や君が物語りはじめて聞ける顔もちぞよき 小車のわが悪業にひかれてやつとむる道をうしと見るらん 私を捨てて君にし向はねばうらみも起り述懐もあり 学文はあしたの潮のひるまにもなみのよるこそなほ静かなれ 善きあしき人の上にて身を磨け友はかがみとなるものぞかし 種となる心の水にまかせずば道より外に名も流れまじ 礼するは人にするかは人をまたさぐる人をさぐるものかは そしるにもふたつあるべし大方は主人のためになるものと知れ つらしとして恨みかへすな我れ人に報ひ報ひてはてしなき世ぞ ねがはずば隔てもあらじいつはりの世にまことある伊勢の神垣 名を今に残しおきける人も人心も心何かおとらん 楽も苦も時すぎぬれば跡もなし世に残る名をただ思ふべし 昔より道ならずしておごる身の天のせめにしあはざるはなし 憂かりける今の身こそは先の世とおもへばいまぞ後の世ならん 亥にふして寅には起くとゆふ露の身をいたづらにあらせじがため のがるまじ所をかねて思ひきれ時に到りて涼しかるべし 思ほへず違ふものなり身の上の欲をはなれて義を守れひと 苦しくとすぐ道を行け九曲折の末は鞍馬のさかさまの世ぞ やはらぐと怒るをいはば弓と筆鳥にふたつのつばさとを知れ 万能も一心とあり事ふるに身ばし頼むな思案堪忍 賢不肖もちひ捨つると言う人も必ずならば殊勝なるべし 無勢とて敵をあなどることなかれ多勢を見ても恐るべからず 心こそ軍する身の命なれそろゆれば生き揃はねば死す 回向には我と人とを隔つなよ看経はよししてもせずとも 敵となる人こそはわが師匠ぞとおもひかへして身をもたしなめ あきらけき目も呉竹のこの世より迷はばいかに後のみやぢは 酒も水流れも酒となるぞかしただ情あれ君がことの葉 聞くことも又見ることも心がら皆まよひなりみな悟りなり 弓を得て失ふことも大将の心一つの手をばはなれず めぐりては我が身にこそは事へけれ先祖のまつり忠孝の道 道にただ身をば捨てむと思ひとれかならず天のたすけあるべし 舌だにも葉のこはきをば知るものを人は心のなからましやは 酔へる世をさましもやらでさかづきに無明の酒をかさぬるは憂し ひとり身をあはれと思へ物ごとに民にはゆるすこころあるべし もろもろの国や所の政道は人に先づよく教へ習はせ 善に移り過れるをば改めよ義不義は生れつかぬものなり 少しきを足れりとも知れ満ちぬれば月もほどなき十六夜のそら [島津日新公いろは歌:高城書房編] |
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5月19日鹿児島に赴いて西郷隆盛とその側近桐野利秋の墓参りをしてまいりました。薩摩の秘剣薬丸自顕流の使い手桐野利秋については意外と知らない方がおりますので紹介いたします。 ・桐野利秋 天保9年(1838年)12月桐野兼秋の第三子として生まれる。幼名は信作。名は利秋、通称は半次郎という。初め中村半次郎と称し、明治になってからは旧姓にもどって桐野利秋と称した。5人兄姉弟妹(きょうだい)で、上から与左衛門邦秋、姉、半次郎利秋、山内半左衛門重邦(山内家の養子となる。西南戦争に従軍)、妹の順。
・幕末・人斬り半次郎 文久2年(1862年)、島津久光公に随って上京し、尹宮(朝彦親王)附きの守衛となり、列藩の志士たちと交際し、小松帯刀らから用いられるようになった。元治元年(1864年)、武田耕雲斎が兵を率いて中山道を下り、敦賀を経て京都をうかがった天狗党の乱のとき、単身その偵察に赴き、初めて軍事偵察の能があるのを知られた。かねて列藩志士と交際して長州屋敷にも出入りしていたので、禁門の変に続く第1次長州征伐の際には、西郷隆盛に志願して長州に赴き、脱藩したと称して入り込みを計ったが失敗した。
・明治新政府・陸軍少将 明治2年(1869年)、鹿児島常備隊がつくられとき、第一大隊の隊長となった。明治4年(1871年)廃藩置県に備えて西郷隆盛が兵を率いて上京したとき、大隊を率いて随い、御親兵に編入され、陸軍大佐に任じられた。7月、陸軍少将に昇進した。明治5年(1872年) 4月、熊本鎮台鎮西の司令長官に任命され、熊本に赴任した。このときの経験から、11月徴兵令が発布されたときは批判的であった。同年7月、桐野は北海道に視察に行き、帰ってきてからは札幌に鎮台を設置する必要を上申した。これがのちの屯田兵設置の嚆矢となった。明治6年(1873年)4月、陸軍裁判所の所長に転任した。10月、征韓論が破裂して西郷隆盛が下野すると、辞表を提出して帰郷した。 西郷隆盛や桐野利秋、東郷平八郎などを生んだ薬丸自顕流は、薬丸自顕流第14代薬丸康夫宗家の下、気骨ある若者の手によって保存をされております。この流派の発展を心より祈念いたします。 |
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◇中の徳について 易経の思想で重要なものの一つに中があります。極端な偏りを嫌うことを中といいますが、東洋思想の大家公田連太郎先生は中について以下のように述べております。 東洋思想の権威でいらっしゃる公田連太郎氏は、中についてその著書易経講話に、以下のように述べておられます。 ※参考 郭雲深老師の教え(孫福全老師著 拳意述真より) ・二則:形意拳の起点は三体式(三体とは天地人三才の像である。孫福全老師著形意拳学より引用)である。片方に重心をかけて両足に鈍く重心をかけてはいけない。片足に重心をかけるとは片足を地に着け片足を空中でぶらぶらさせるにではない。前足が虚にもなりうるし、実にもなりうるし、ただ後ろ足に重心があるにすぎなく。 自ら血気の拘束を被り、拙いけいの締めつけるところとなる。此は皆三体式に於ける両足に鈍く重心をかけたために被った結果である。もし片足に重心をかけた三体式中和の道理を得て行えば、片足に重心をかける形式か、両足に重心をかける形式かを問わず、可もなく不可もない。(孫福全老師:拳意述真)心が中の精神に至れば形に表れ又形が中に至れば心のバランスがとれてきます。心と形は表裏一体で切り離すことが出来ません。 ・第6則:人が未だ拳術を練る前は、手足の動作が後天の自然の性質に沿っており、壮年、老年から死に至る。道に通じた人は、先天を逆に運び乾坤を変転させ長生の術を求める。拳術もまた然りである。静から動によってその機となし、動から静へ再び至ることが三体式となる。 拳術の内頸を最初に練習の時、人は皆そのことを知らない。それ故に正しい理なのである。その理は極めて微妙なので後輩が誤った道に入らないように詳細を述べておかないわけには行かない。入門したての初心者にとっての三つの害と九つの要点がある。三つの害は、犯すなかれ、九つの要点はその理に違反するなかれ。(この二つの事柄は八卦拳学と言う書物に詳しく述べてありますので後ほど紹介します。)手足の動作は、規則に合わせて三体式の本体に違反してはならない。此を息を調えると言う。練習の時は口は開くようでいて開かず合わせるようでいて合わせず。純粋に自然に任せ舌は上顎につけ、鼻から息を出す。平常練習をしていないとき練習が修了して収まったとき等は,口は閉じて開けてはならず、いつも鼻から気を出さなければならない。話をするとき、食事をするとき、お茶を飲むときは口を開けてもよいがこの時以外は舌を上顎につけ口を閉ざし鼻から気を出させる。このことは謹んで行わなければならない。又横になって寝るときもこのようにしなければならない。練って手足が合い、上がり下がりや、前進後退が一つになり、このことを、息を調えるという。手足の動作が規則に合わなかったらば上下の動きが完備せず,進退の歩法が滅茶苦茶に乱れそれにつれて他が逐次動き出し、(波及して)呼吸の気が不均等に噴き出し気がはなはだ荒く、胸もうっとうしく、これらは皆上下進退手足歩法が規則に合わないからである。此を息が調わずと言い、息が調わない原因は、拳法と体が順序正しくならないからであり人のばらばらに撒き散らした神気を拳中の規則を用いて順中の逆を用いて(自然に任せていれば放出しっぱなしの神気を逆に体内に納めると言うことでしょうか。)丹田の中に小さくしてもどすし、丹田の元気と交わって自らは無であるが有に、自らはわずかではあるが著しく、自らは虚であるが実になり次第に蓄積して成し遂げる。此が拳の内頸である。丹書に言う凡人の呼吸を以て真人の呼所とする(真人呼吸の処:丹田の称。真人の呼吸は口鼻を以てせず、丹田を以てす。:煉丹修養法)壮子の言う真人の呼吸は、踵を以てする。は、このことである。拳術で呼吸を調えその後に天の陰気が積み上がることとなり、 若しくは、下腹部が、石のようにがちがちになったら此は後天の気を無理をして蓄えたのである。全て呼吸は純粋に自然に任せなければならない。真意の元神を用い(煉丹修養法の、心中の元神のことだろうか。ちなみに同書で、元神は心の本体にして精粋成毛の。故にいふ。と説明しております。)此を丹田に引く。腹は実とは言うものの虚のようでもあり有ではあるが無のようでもある。老子の言うところの「綿々として存しているようである。」とか又その心を虚にし尚かつ霊性をごまかさず、道心をふるいおこせば、生気は常に存在し亦此が意念であるし、この理が即拳中の内けいの意義である。 (孫福全老師 拳意述真) |
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◇老子 天長地久章第七(老子想爾注より) 天は長く地は久しい。天地の能く長く久しき所以のものはその自ら生ぜざるを以って故に能く長久す。法が大道を学ぶことが出来、それゆえに自然に生まれ、また永久であることが出来ます。 |
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◇上善若水の精神 老子第八章に上善若水があります。上善である道は水のようであるという教えです。これは、水は柔弱であり、高いところから低いところへ流れ、実を避け虚に帰ることを言います。常に周りを潤し身を低くして争わず、又川などに流れ出た汚物を受け入れ浄化する作用があります。 |
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◇柔道一直線について 生まれて初めてアマゾンで注文を出したDVD柔道一直線が昨日届きました。私にとって、この作品は記念すべきドラマでした。この作品を見て武道を志し、王樹金老師に出会い、主人公一条直也のように身命を擲って入門を申し出ました。 河野義勝 5月14日 |
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