終戦直前に花開いた陸海共同開発の技術力

 高々度にまで届く高射砲を開発していなかった帝国では、戦闘機の排気タービン装備の遅れと相俟って、B29の高々度爆撃や高々度からの偵察に対処できませんでした。
 この本当の非常事態に普段から仲が悪かった陸軍と海軍が、高射砲の共同開発を進めることになりました。

 構造としては目新しいものはあまりありませんでしたが、威力の増大とともに細部の補強が必要となりました。
 設置は円筒形半地下式砲床で、6粍鋼板で防御、離れたところに地下式観測所を置き、四式高射算定具と二式六米基線測高機、マイクロ波の電波標定機(ウルツブルグレーダー)と連動させて夜間でも照準可能、すべて電気式で、海軍のように計器の針が揃った時点で発砲すれば良い仕組みになっていました。
 使用砲弾は四式高射尖鋭弾に二式機械信管を付け、炸裂から半径30米が有効範囲です。砲弾は自動装填で、どんな角度でも装填できたようです。

 設計は昭和18年末に始まり、昭和19年4月に起案図完成、手が掛かる砲身はすぐに製造を始め、細部も設計が終わり次第製造と、当時の陸軍では考えられないスピードで進みました。最終的な設計終了は昭和19年末、第一号砲は予定通り昭和20年4月に完成。
 陸軍では12門の製造予定を立てていました。

 昭和20年2月に第一号砲が久我山陣地に到着、二号砲も3月に到着して設置が開始され、大きく動き出しました。
 この砲を扱う高射砲第百十二連隊第一大隊第一中隊には最高練度の将兵が集められ、6月の完成と同時に起動。
 完成に先立って5月には試射も済ませて、万全の体制を整えたのでありました。

 さて実際の戦果はと言いますと、実は8月1日の2機撃墜だけだったようです。50発の砲弾が用意され、終戦までに2門で44発が使用されました。

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制式制定 昭和20年
口径 149.1粍
高低射界 0〜85度
方向射界 全周
初速 930米/秒
最大射高 20000米
最大射程 26000米
発射速度 6発/分
放列砲車重量 50000瓩
閉鎖機
五式十五糎高射砲