これまで高射砲を中心に見てきましたが、高射砲は中高度・高々度を担任する反面低空には必ずしも有効と言えませんでした。
 部隊によっては信管調整ゼロで撃ち出す危険行為をしていたところもあったようですが、あくまで高射砲は低空を担任していたわけではありません。
 低空では、より小回りが効く高射機関砲とあまり役に立たなかったのですが、小銃・軽機・重機が使われました。因みに九九式歩兵銃には、対空射撃照尺が付いていました。

 当初の高射機関砲部隊は、先述の通り重機関銃や軽機関銃を高射架の上に据えて利用していました。しかし口径が7.7粍と小さく敵機に有効な損害を与えることができない事が多く、簡易な銃架の為に敵機に追いつけないという問題がありました。
 また、支那事變に於いて敵の対空機銃はよく当たるが、味方の物はあまり当たらないという声も出てきていました。支那は他国から対空火器を購入していたため、優秀な物が多かったのであります。国内にもラ式二〇粍高射機関砲がありましたが、数は少なかったようです。

 そこで九三式十三粍高射機関砲が制定されました。大変性能が良かったということでありますが、残念ながら私の手元にその資料が存在せず、諸元等は鋭意探索中です。口径から低高度のみを担任する機銃であると言えましょう。

 航空機が発達するに従い、飛べる高度も上がってきたため、13粍では限界が指摘されてきました。
 そこで各国の機関砲を研究した結果、オチキス社式の銃の仕様がもっとも良いとされて設計開始、昭和9年1月に試作砲が完成しました。しかし改修点が多く見つかり、次の試作砲が完成したのが昭和9年9月。これもやはり改修が必要になり、やっと昭和9年11月に試製九四式二〇粍高射機関砲として満足できる物が完成しました。
 しかしここからが帝国陸軍の悪いところで、各種試験に2年6ヶ月を費やし、更に改修をしたため、九八式二〇粍高射機関砲として完成したのが昭和13年1月のことでした。それでもまだ「試製」の二文字は残ったのであります。
 しかし性能は良く、「試製」が取れる前の昭和14年から生産が始まりました。因みに制式制定されたのは、昭和16年7月のことでした。大変遅い動きです。

 機械化していなかった帝国陸軍では、この機関砲に様々な形の運搬法を用意しました。
 歩兵用に駄載型(6頭に分解駄載・弾薬馬別)、騎馬部隊などに輓曳型、九四式六輪自動貨車に搭載する型(これは車上から射撃可)、九八式四屯牽引車搭載型(試製のみ)、船舶搭載の○特型などがありました。この他に九七式軽装甲車の砲塔を撤去して搭載した対空戦車型もありましたが、こうなると高射機関砲の項目で触れるようなものではありませんので割愛します。

 最初に発足した高射機関砲部隊は、高射砲第一連隊の機関砲中隊でした。当初はラ式二〇粍高射機関砲でしたが、昭和15年に改編されたようです。

 使用弾薬は榴弾、九七式徹甲弾、百式曳光徹甲弾、百式曳光自爆榴弾、五式榴弾、五式曳光榴弾などでした。

 九八式の派生型に二式多連二〇粍高射機関砲がありました。これは指揮装置と6門以上の機関砲を連結し、これに発電車から電気を送って同時に同じ方向へ指向させ、1カ所で引き金を引けば同時に発射できるすばらしいものでした。勿論多連装のために命中率も高まります。大量投入できれば効果があったのですが、複雑な機構のために16基しか量産されませんでした。
 この他の派生型に四式基筒双連二〇粍高射機関砲がありました。
この砲は九八式を連装にして基筒に載せた物で、重量が増えた分基筒により安定させるということが主眼でした。

一式三十七粍高射機関砲
 帝国でも、三十七粍機関砲の研究は古くからしていました。しかし構造上の問題があり、ついに試作で終わっておりました。
 そんな中、支那事變でラインメタル37粍高射機関砲が鹵獲され、試験の結果大変優秀なことが判明して、ラインメタルから10門と弾薬10000発を購入、当時開発が進められていた国産37粍に技術を流用して完成させました。
 しかし兵器の多種多様化は生産力を犠牲にし、結局少数しか整備できなかったようです。

五式四十粍高射機関砲
 大東亜戦役が始まり、馬来や昭南を占領すると、大量の鹵獲兵器が出ました。その中にボフォース社製40粍高射機関砲がありました。
 当時発達する航空機の技術に、20粍では威力不足との声が挙がっており、ラインメタル社の技術を流用した一式三十七粍高射機関砲の開発が進んでおりましたが、このボフォース社製の40粍の方が威力的にも性能も優れていたため、無断コピー生産することとなりました。(敵国なのでライセンス許可はでるわけないですが)


 結局大東亜戦役の終結まで九八式二〇粍高射機関砲が主力として活躍することとなったのは、陸軍の開発から審査の流れが遅すぎたこと、生産力が弱かったことに起因します。今ひとつ、制定してから生産を一本化できなかったこと(目移りして新しく来たものにも手を出す)も重要な因子です。ドゥーリトル空襲までは上層部も関心が薄かったという点も重要ですね。

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五式四十粍高射機関砲
制式制定 昭和20年
口径 40粍
高低射界 −5〜85度
方向射界 全周
初速
最大射高
最大射程
放列砲車重量 2700瓩
発射速度 120発/分
生産数 2門〜
高射機関砲
一式三十七粍高射機関砲
制式制定 昭和18年3月
口径 37粍
高低射界 −5〜85度
方向射界 全周
初速 840米/秒
最大射高 4500米?
最大射程 6800米
放列砲車重量 1570瓩
生産数 数門
発射速度 180発/分
九八式二〇粍高射機関砲
制式制定 昭和16年7月
口径 20粍
高低射界 −5〜85度
方向射界 全周
初速 950米/秒
最大射高 3500米
最大射程 5500米
発射速度 300発/分
放列砲車重量 373瓩
生産数 2600門弱/4式500門強
2式多連16組

低空制圧の主力