八甲田神社の御由緒
往昔、阿倍比羅夫は夷賊征討の時、後潟(青森市)に政庁を置き、八甲田山麓に山霊を祀り、伊邪那岐大神・伊邪那美大神ほか諸神を勧請したが、その後永く廃絶した。
北畠顕信公、その子・守親公等は父・親房公、顕家公の遺志を継いで南朝の為に画策、霊山(福島県)を出でて再び諸神を勧請して南部氏を頼ったが、時運にあわず八幡岳にて一敗、その後を絶った。浪岡に拠った顕家公の後嗣も津軽氏に打倒されその跡殆ど煙滅した。
創立者・小笠原壽久翁は昭和十八年、啓示を受けて八甲田大神を祭祀、昭和四十六年には北畠氏縁故者や崇敬者と共に明治百年を期し、現在地に社殿を建立。平成二年に鎮座二十年記念事業として本殿三棟を建立した。
平成二十一年には創立者生誕百年記念事業として収蔵館(文庫・祭具庫)を建設し現在に至る。
境内地三千坪。 境内社として曙神社、市内茶屋町に下社がある。
御祭神
天津御祖大神
伊邪那岐大神
伊邪那美大神
天照大御神
月夜見大神
大地主大神
大山祇大神
北畠顕信命
北畠守親命
美穂屋姫大神
ほか
御神徳
病気平癒
心身健全
除災招福
夫婦和合
心願成就
開運
創立者 小笠原 壽久翁
明治四十一年青森市生れ。
会社に勤務するも健康を損ね退職、以後信仰の道に入り生涯を捧げる。平成五年十月二日、第六十一回神宮式年遷宮終了後に帰幽。
この間当神社のほか、谷地頭神社(三沢市)、北畠神社(青森市浪岡)等七十社余を創立・再建。和人殉難・阿伊努悵恨慰霊碑(函館市)等を建立。
東北・北海道における南北朝時代の祭祀蹟、神道と神霊学、神道と審神者の研究を進めると共に、漢詩・短歌・俳句に親しみ、膨大な資料や原稿を執筆。
著書に『辛夷の花』『合歓の花』(歌集)、『水草』(詩集)、『拾塵集』(句集)等。
御朱印
随時、正面授与所にて受け付けております。
御神宝 及び 宝物
刀剣(二唐 国俊 作 他)
八甲田山関係美術品 多数
当神社では鎮座以来、北の霊峰・八甲田山に関する美術品を収蔵している。これらは、崇敬者の信仰や祈願成就の御礼によるものに一部蒐集を加えたもので、県内出身の美術家の手による作品は、絵画・彫刻・書・陶芸・写真等、多岐に亙る。
神道教化刊行物
○『言霊 八峯録』(人生訓)
○『神考記』(日常生活の神霊譚)
○『見知らぬ世界』(霊験譚と随想録)
○『思ひ出づるまま』(自叙伝)
○『水草』(詩集) 他
遷宮講のご案内
伊勢の神宮では、二十年ごとに神殿や神宝を改め、大神様をお遷しするお祭りが行われ、「式年遷宮」と呼ばれます。この遷宮には多額の経費が伴い、国民の募財も広く行われています。
当神社では遷宮募財に資する為遷宮講を結成し、一日一品(百円)の積立を行うとともに、毎日会員の皆様の家内安全・無病息災を祈願しております。積立は遷宮募財と併せ、当神社の御造営浄財としても充当させて頂きます。詳細は社務所へお問合せ下さい。