暴れ木落し坂 第2回


森亜人《もり・あじん》




 信彦は御柱の上から周囲を見回してみた。もしかしたら、という思いで目を凝らすと、髪の長い女性や、少し前屈みで歩いている女性を見ると、まり子ではないかと胸の奥で音がするのを意識した。

 全く考えてもいないことだった。喫茶・コリーヌに顔を出す者は、独身者なら誰もが娘のまり子に心を引かれていた。無論信彦もその中の一人だった。しかし、それらしきことを彼女に一度も言ったこともなければ、二人だけの時を過ごしたこともなかった。それ故、雨の中を駆けてきたまり子の心が嬉しくもあり、信じられないことでもあった。

 本当に自分に対して思いを抱いてくれるなら必ず春一の御柱の側にいるはずだ。さっきから何げない振りをして周囲を見ていたが、まり子の姿はどこにも見つからなかった。

「まり子、夕方には必ず店に行くからな。イエスタデー・ワンスモアーだ」

 信彦は、昨日のまり子の淋しそうな表情を思い出した。

―― そうだ!イエスタデー・ワンスモアーは俺が好きだと言ったんだ。それで… …。 ――

 信彦は、この先どんなことが起ころうとも喫茶・コリーヌへ行くことを、汗で濡れて肌にぴったりくっついているまり子の御守に手を当てて約束した。

―― そうだ。俺の妹と違い、まり子は直接ここへ来ることはしないだろう。きっと地方テレビ局のチャンネルで見ていてくれるだろう。 ――

 先頭を行く秋四の御柱が盛んに練っている。雨に洗われた四月の空に、色とりどりの法被を着た若連が御柱の上で、これから百メートルもある急坂を一気に滑り降りていく前のデモンストレーションを行っているらしく、春一のところからは全く見えない坂の下や、砥川の河川敷から吹き上げてくる群衆のどよめきに煽られでもしたように、人も御柱も一体となって上下に揺れていた。

 秋四が滑り落ちないように支えている追い掛け綱が支柱に固く巻きついてぶるぶる震えていた。

 信彦はその様子を春一の上から見ながら、御守に約束したことを今度は、もしかしたら群衆のどこかに紛れているかもしれないまり子に約束するつもりで、

「足の一本くらい折れても絶対に行くからな」

 と言ってみた。

 間もなく秋四の追い掛け綱が切られ、平均傾斜度三十五度の斜面を一気に滑り落ちていく。坂の途中には四十五度の斜面もあるのだ。御柱の尻をぴんと躍らせ、たちまち視界から消えてしまうだろう。結果は、この坂を取り巻いている見物人たちの歓呼の叫びで、御柱がどのように落下していったか知れるのだ。信彦は全身の神経を耳に集めてその時のくるのを春一の先頭に立って待っていた。

 平安時代から脈々と続いてきた御柱祭。寅年と申年に繰りひろげられる日本三大奇祭の一つで、諏訪の盆地に住む者にとって待ち遠しい祭りなのだ。

 諏訪大社の上社と下社にそれぞれ二社がある。上社には本宮と前宮。下社には秋宮と春宮がある。それぞれの宮に四本ずつの柱を建てるのだ。

 御柱には山出しと里引きがある。なかでも木落しは圧巻中の圧巻で、特に下社のそれは死と背中合せと言われている。だから、鳶職人のような者が御柱に乗るのだ。

 建築関係に携わる職業に就いていても彼は鳶職人ではない。秋一の次に大きな春一に乗れるようになったのにはそれなりの苦労もあった。間もなく自分の乗った春一が坂の上に進んで行く。目の前で大いに揺れている秋四の追い掛け綱が振りかざした鉈の下で最高に張りつめている。木遣りが一段と高まり、消防団の突撃ラッパが鳴り響いている。目の前の景色が一瞬に消えたあとは自分の乗った御柱の番だ。

―― 二度とまり子に逢えないかもしれない。春一が坂を落ちるまであと一時間。もう一度まり子に逢いたい。本当に自分のことを思っていて、それで雨の中を駆けてきてくれたのかとたしかめてみたい。 ――

 落される御柱の下に巻き込まれて死ぬかもしれない。祖父や父と同じ運命をたどるかもしれない。祖父も父も木落しで死んだのではないが、御柱のときに死んだことは事実なのだ。特に父の場合は思い出しても胸が苦しくなる。

 瞼の裏に母や弟妹の顔が浮かんだ。どの顔も石膏の様だった。信彦は今になって御柱に乗ったことを後悔した。部落の者たちに陰口をたたかれ、肩身の狭い思いで日々を送らなければいけなくなるかもしれない母たちへの愛慕が彼を苦しめ始めた。

 大地を揺り動かすほどのどよめきに信彦は顔を上げた。さっきまで練っていた秋四の姿が消えていた。突撃ラッパが鳴り響き、木遣りの澄んだ声が四月の空の彼方に吸い込まれていった。信彦は思わず身を震わせた。急に小便に行きたい気分に誘われ、つい苦笑してしまった。秋四が急坂を滑り落ちたのは午後二時三十八分だった。

 それまで思い思いに座って酒徳利を傾けたり、缶ビールを何本も空にしていた曳き子たちが一斉に立ち上がり、御柱に掛けられた太い綱から出ている小綱を握り締めた。

 数十メートル先に木落し坂がある。そこまで一気に曳行し、準備してきたセレモニーを行うのだ。それも各御柱を担当する者たちが秘密のうちに用意してきた取って置きのセレモニーで、春一の場合は、十数名の者たちしか本番に何をするか知らなかった。

 信彦は御幣を両手で握り直すと、木遣りの声に合わせて前後に振った。彼の持つ御幣は、どこからでも春一と知れるほど大きなもので、腰をしっかり据えていないと御幣もろとも地面に落ちてしまうほどのものだった。それを無心に振っていると、気分が高揚してくるようで、信彦は顔を真っ赤にして振りつづけた。

 綱の先端は既に坂を下り始めている。計画どおりに進めば、四時頃には木落しとなるだろう。しかし、先の秋四も予定の刻限より三十分以上も遅れた。その分でいくと、この春一も四時半くらいになるだろう。

 早朝、家を出る前にシャワーで身を清めてきた。仏壇の中に住む祖父や父にも手を合わせてきた。この半年というもの、とうとう家族の者には御柱に乗ることを話さずじまいだった。言えば反対されるに決まっている。前々回もそうだった。父がどうしても木落しに乗ると言ったとき、母は信彦たちを周りに座らせ、

「お父さん、それほど木落しに乗りたいんなら離婚してからにしてください。お父さんだってじいさまの死を目の前にしたでしょうに……」

 母はそう言って、信彦たちを父の前に押し出した。弟や妹は、母の勢いに気圧され、恐怖のために泣くにも泣けないでいた。

 信彦は父の顔をじっと見つめていた。ベース板のような顔が歪んだかと思うと、父は涙を二つ三つほろりと落とし、「済まねぇ」とだけ言って、下を向いてしまった。そんな父を見て、信彦は歯を食い縛って父を睨んでいた。

 信彦は仏壇の中の父に、

「待ってろよ」

 と言って出てきたが。 子供の頃、自分たちの前で、「済まねぇ」と言った裏には、父の無念の呻きがべっとりと淀んでいたはずだ。それを思うと、自分の行為は家族への反逆かもしれない。たぶん、父の心には子供さえいなければという思いがあったはずだ。その父の思いを今こそ払拭する時がきた。出てきたからには是が非でも成功しなければ本当に顔向けできなくなると、少しずつ坂の上に近づいていく御柱の上で考えていた。

 家を出る前に信彦は、決心が揺らぐのを征するつもりもあって、ノートの切れっ端に、「俺、やっぱし乗る」

 となぐり書きして線香立ての下に隠すように置いてきた。

 そんなことをしてこなくても家の者たちは既に春一に乗ることを知っているような気もする。誰もそのことにふれようとしないことで返って知っているように思えたのだ。

 もう三時を過ぎた。母の姿はおろか、弟妹の姿も見えない。そういえば、妹のやつ、今朝は早く起きて弁当を嬉しそうな顔をして作っていた。まさか俺のためではあるまい。もしかしたら会社の同僚が話してくれた男のためかもしれない。どちらにせよ、妹も弟も黙って家に閉じ籠っていられるやつたちではない。きっとこの群衆の中に紛れ込んでいるに違いあるまい。

 消防団の突撃ラッパがたからかに鳴り響いている。春一が数メートル一気に進んだ。

「おい信彦 気をつけろよ」

 叔父がすぐ横に立って信彦を見上げていた。曳行主任をしている叔父は、皆の士気を高めるために自らも鼓舞するかのように酒をかなりあおっていた。真っ赤な顔が緊張しているため、返って周囲の者たちの緊張をほぐすらしく、春一は前から噂されているようなこともなく、ここまで整然と進んできていた。

 信彦は無言で大きく頷いてみせた。法被姿の叔父を見ていると十二年前にばかな死に方をした父を思い出す。


 あれは上社の本宮の建て御柱のときだった。

 信彦は中学三年になっていた。今回、父は初めから御柱に乗るというようなことは言い出さなかった。ちょうどその頃、母の実家の祖母が脳内出血で倒れ、継ぐ者が無いことから、父は母の家に入っていた。そのため、信彦たちも岡谷から富士見へ転居していた。

 下社と違って、上社は御柱に乗るのにも順番というものが暗黙のうちに定められていて、たとえ下社で木落しや建て御柱に乗った経験があろうとも、上社では聞き入れてもらえるはずもなかった。

 上社本殿の前でクジを引き、本宮一を引けるように神に祈るのだ。それも寒い冬の早朝、一ヶ月間というもの、毎朝五時に起きて上社へ詣でなければ木落しにも建て御柱にも乗せてもらえないのだ。部落によっては前年の晩秋、御神木となる木を定めに山の奥へ検分に参画もし、雪の深い中、腰の辺りまで雪に埋まりながら伐採にも加わらなければ、御柱に乗せてもらえないところもあるのだ。

 だから、クジに当れば山出しから建て御柱まで責任を持ち、他の部落の者は、御柱の大切な部分へ触ることも許してもらえない。それが上社の御柱なのだ。

 それに、上社の御柱は男神で、メドデコという角のようなものが左右に御柱の先と後ろに取りつけてある。先頭に近い部分のメドデコのほうが後ろのものより一メートル以上も長く、その分だけ人が乗れるのだ。このメドデコこそ上社男神のシンボルであって、クジに当ったときからこれを守り、他の者に触れさせないのだ。

 数メートルにも及ぶ左右のメドデコに数人ずつの若連が乗り、御柱を練る。ときには勢いが余ってメドデコが折れ、そのために大怪我をすることも珍しくない。

 母の実家は、富士見でも格式のある家柄だったため、父は建て御柱の責任者にさせられた。たぶん、父としては不満だったろう。前回のこともあって、父は何も言わずに建て御柱の責任を土地の大総代から謹んで受け賜った。

 信彦は中学生だったが、学校でも体格が優れていたため、人手の少ない部落では、信彦を若連として取り扱うことにした。父はそのことが満足らしく、

「信彦も大人の仲間入りしたっちゅうもんだ。少し酒を覚えておいたほうがいい」

 とまで言い出し、母に小言を言われたりもした。

 母が心配するほどのこともなく、中学生ということで、危険な仕事や、夜の集まりには呼び出されることはなかった。メドデコを担ぐ作業と、山出し最後の川越えをした若連たちのために焚火を用意することと、御柱の先頭と後ろとの連絡係が信彦に求められた仕事だった。それでも綱の先頭から御柱の最後尾までは百メートルはあった。

 昭和五十五年五月、先月の初旬に行われた山出しも無事に終り、五月の里引きが多くの観光客を集めて賑やかに始まった。

 信彦は家の軒を越えるメドデコに乗りたかった。特に木落しのメトデコは町中を曳行するときのメドデコより倍も長く、他と競うように十メートル近くもあるのもあった。

 部落の若者たちが、メドデコに取りつけられた一本の綱に足を掛け、片手でメドデコに掴まってオンベを振り、

「よいてえこしょ。よいてえこしょ」

 と声を嗄らしているのを見て、六年後にはきっと乗ってやるぞ、と眩しい思いで彼らを見上げていた。

 国の記念物の指定を受けている上社の森が、五月の青い空の下で盛り上がるように新緑を深めていた。御柱の進む道路の両側は人であふれんばかりだった。御柱街道と呼ばれ、日頃はほとんど人も通らない静かな道も、この日ばかりは都会の盛り場並の賑わいを見せていた。

 古い人家の窓という窓は大きく開かれ、屋根の上にまで人が群れ重なって、通過して行く御柱を見おろしていた。街道に面している家では、畳替えをし、障子も張り替え、この日のくるのを待っていたのだ。

 家の中にいる男たちのほとんどは、手に杯やビールのグラスを持っていたし、女たちは、うまそうな料理が顔を覗かせている皿やドンブリから自分の小皿に取って、せっせと口へ運んでいた。なかには顔を真っ赤にしている女の人もいたが、どの顔も祭りに浮かれていた。

 道を行く見物人の中に見知った人を見つけると、手に箸を持ったまま外へ飛び出してきて、知り合いの腕を取って家に引っ張り込む。ときには二、三軒の家から声を掛けられ、どちらの家に行けばいいのか迷っている人もいた。そんな人のなかに、家の中を覗き込んで料理の華やかなほうへ足を運ぶ者もいた。

 信彦は、昼に握り飯を四つ食ったきりだったので、次から次へと目に入ってくるうまそうな料理に生唾が口の中にたまってきて、その度に喉をごくりと鳴らして家々の前を通過していった。

 信彦の部落は本四が担当だった。これは本宮を引く四本中もっとも細いものだったので、祭りが始まるまでは盛り上がりに欠けていたが、群衆の熱気や祭りの荘厳さに次第に盛り上がってきて、建て御柱の日を迎えたのだった。

 やがて、本四は本宮の鳥居を潜り、境内を抜けて建てるべき所定の場所へ曳行し終えた。山出しから数えて六日間。怪我らしい怪我もなく、あとは建てるだけとなった。

「信彦、おめえも一杯飲め。こいつあ酒じゃねぇぞ。神の下されもんだ」

 父が珍しく酒も飲まない真面目くさった顔をして、湯飲み茶碗を信彦の鼻っ先に突き出した。信彦は、額から流れ落ちてくる汗を手拭で拭いていたところで、しかも喉がからからだったこともあって、父の出してくれた茶碗を何の考えもなく受け取り、一気にそれを飲み干した。

「そうだ。それでいい。おめえは頭はいいが少し真面目すぎていけねぇ。だが、俺みてえな脳のねぇ大工になんかなるなよ。大学を出ろよ。それも飛び切りの大学だ。俺はそいつを楽しみにしているからな」

 父はそう言って、手に持っていた一升瓶を傾け、空になった茶碗に酒をなみなみと注いでくれた。

「今みてえにきゅっとやれ」

 信彦は、父の目に吸い込まれでもしたように茶碗を受け取ると、黙って一気に喉へ流し込んだ。一杯目のときには冷たくてうまいと思って飲んだが、今度は喉に痛みを覚え、思わず咳込んでしまった。

「よし。もう言うことはねぇ。立派に御柱を建てるからよく見ていろよ」

 それだけ言うと、父は背を向け、総代衆が屯しているほうへ一升瓶を大事そうに抱えてゆっくり歩いていった。その背に上社の森の緑がゆらゆらと揺れていた。

 建て御柱の醍醐味は何といっても本一だった。最も太い部分の周囲が三メートルもあるのを、ほとんど人力だけで引き起こして建てるのだ。木落し同様、神主がお払いを行ってから建てるのだが、一本の柱を建てるのに二時間や三時間を掛ける。五月の空にすっくと御柱が建られてからも柱の天辺でこれまた趣向を凝らしたセレモニーがある。特に本一は十数万人の見物の取り巻くなかで行うため、熱の入れ方が違うのだ。

 そこへいくと、本四は宮の裏にあって足場が悪いため、見物人は関係者の家族くらいなもので、早く片付けてしまいたいという気持が誰の心にも働いていた。信彦の父親は、先を急がず若い連中の心を制しながら事を運んでいった。

 いよいよ本宮四の建て御柱が始まった。

 若者たちが柱に群がって行った。カグラサンに巻きつけられたワイヤーが徐々に巻かれていく。人を乗せた御柱がゆっくり先端を持ち上げ、地面から離れていく。左右のカグラサンの調子を取りながらゆっくりと巻き上げていくのだ。バランスを崩すようなことが起これば、たちまち柱は中心を失って大きな事故になる。それ故、ワイヤーを担当する者たちの呼吸が合っていないと大変なことになる。

 信彦は、危険を避けるために張られたロープの外に立って、右を見ても左を見ても見知った顔が並んでいるなかで御柱の上がっていく様子を見ていた。

 柱の先端が十センチ、二十センチと上がっていく。御柱には若者たちが足を掛けるための綱が巻かれているが、そんなものに足を掛けている者は誰もいなかった。まだ地面から十センチや二十センチくらいのところでは、誰もが柱に立って木遣りに合せて勇ましいところを見せていた。

 父が騒ぎ立てている若者たちに、そろそろ柱に腰をおろすように、と一人一人に言って回っていた。柱は地面から一メートル以上も上がっていた。ワイヤーが巻かれ、先端が百二十、百三十、百四十センチと上がって、やがて信彦の背丈くらいまでになった。御柱を建てる場所が平坦なら仕事も難しくないが、宮の横は斜面がきつい。誰もが額に汗を浮かべて柱の動きを見つめていた。

 柱を取り巻く建て方の苦労を横目に、若者たちだけがご機嫌でオンベを振って騒いでいた。体を上にずり上げなければ、ずるずると滑ってしまうほどの角度に傾き始めても口だけは達者に動かしていた。見物人たちのなかには、「あんなに騒いでいてもあと一時間もしてみろ。恐ろしくなって降りてくるやつがいるぞ」

 と言って、柱の上の若者たちをはやし立てていた。

 今は二十人くらいの若者が柱の上に立っているが、実際、柱が四十五度を過ぎると、柱の上の連中のほとんどは地上に降りてくる。そうして、彼らに替わって最後を締めくくる数人の人たちが、既に定められた順序で上から柱へ取りつくのだ。今、柱に取りついている若者たちは前座を勤める役を受け持っているにすぎないのだ。

 父が御柱に乗った若者一人一人の命綱の具合をたしかめるために柱の下へ屈んで点検していた。まだ交替していないから点検する必要などないのだが、父の表情は、さっき信彦に酒を注いでくれたときと同じくらい真面目だった。

 信彦は、初めて父は偉いとそのとき感じた。柱の上で奇声を発している若者たちの地下足袋が父の頭の上に乗せられていても、そんなことに頓着しないで恐いほどの目をして彼らの命綱の様子を見て回っていた。

 御柱の先端が百八十センチくらいに上がった。父は一番先頭に乗っている若者の命綱の緩みを発見すると、坂の下に回り込んで柱の下に潜り、信彦に背を向け、節だらけの指を綱に絡めてきりきりと絞り、どんな強い衝撃を受けようと、決して解けないように縛り直していた。この綱の縛り方はまるで忍者のようで、綱にぶらさがっても解けたりしないのに、綱の端をちょっと引くと、幹に巻きついていた蛇が力を抜いたときのように、綱はするすると解けてしまうのだ。

父がその綱をしっかり締め直したときだった。悲鳴とも歓声ともつかない叫びが周囲に起こった。信彦は見た。

 父は肩から下の部分をこちらへ見せ、斜面に添うように地面に横になっていた。法被の背が一瞬、大きく波打ったかと思うと、空気が抜けたゴム風船のように、法被がゆらゆらと細かく揺れ、頼りなく凋んでいった。それに比べて、両足は、野兎が追われて山へ逃げ上がっていくときのような勢いで大地を蹴っていた。

 柱を支えているワイヤーの一本が切れたのだ。そのため、もう一方のワイヤーに重みが掛かって、鋭い音とともに、柱は人を乗せたまま父を巻き込んで地面にどさりと倒れた。柱の上にいた若者たちが地面と柱のあいだに足を挟み込まないで済んだのは父のお陰だった。父が一人で柱を支えた格好となったのだ。





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