吹雪 第1回


森亜人《もり・あじん》



      1

 一抹の哀愁を誘う汽笛が荒野を駆け抜けていく。茫漠とした原野に、一つの明りも差さない只中を、列車は南仏指してひた走っていく。

 リヨン駅が二二時三十分だった。それから二時間、列車は車体を軋ませて、ゆるゆるとアヴィニヨン駅に到着した。

 八人掛けのコンパルティマンには、わたしのほかに、話の内容から察するに、マコンから乗ってきた姉妹と、わたしに窓際の席を譲ってくれた中年の女性の四人だった。

 わたしがリヨンから乗り込んできたばかりは、乗ってきた外国の視覚障害者が気になるらしく、先客の女性たちは、最初のうちは、わたしを憚るように世間話をしているようだったが、わたしの反応のないことに安心してか、そののちは彼女たち家族の周囲のことを声高に喋っていた。

 そんな話のあいだにも、乗り込んできたわたしが日本人のようだが、フランスへ何をしにきたのだろうかねとも言っていた。

 わたしは、リヨンにある視覚障害者のための図書館のAVHに勤務していたが、なんとなく旅に出てみようと、この列車に乗ったのだ。


 二年前、わたしは、リヨン大学で教鞭を取っているフランス人の友人を頼ってやってきていた。彼は、ベルクール広場の近くのアパルトマンに住んでいて、四年生を頭に三人の女の子ばかりの父親だった。彼の妻は、AVHの館長秘書をしていた。

 わたしは、その彼女の紹介でAVHに勤めることができたのだが、初めのうちは無我夢中で過ごしていたものの、二年ともなると、言葉にも生活にも慣れ、なんとなく毎日の営みに活気を失ってきていた。そんなおり、友人が見るに見かねて、 「ちょっと旅に出たらどうだ」

 と言ってくれたのを機に、わたしは二年前の夏に行ったソブリッグ村へもう一度行ってみようと思いたち、この列車に乗ったのだった。

 今までがらんとしていたコンパルティマンに、人が数人なだれ込むように入ってきた。南仏なまりの巻き舌でまくしたてる中年の婦人たちだった。わたしは悠揚せまらぬ態度を装い、窓枠に頭をもたせかけて目を閉じていた。

 列車は長い時間、アヴィニヨン駅に停車していた。一時を過ぎたころ、とてつもなく長い列車が、少し離れたところを通り過ぎてから、ようやくわたしの乗っている列車が動き出し、それからは西に方向を変えて走り続けた。

 列車は雄大なピレネー山脈の内懐に吸い込まれていく。昼間なら、空を覆うほどの山の連なりを望見できるところだろうが、今は深夜、窓外は闇に閉ざされているばかりで、人家の明りすら見ることができないだろう。たぶん、山中に深く進んでいるため、家などないのかもしれない。

 相席の夫人はマコンから乗ってきたという姉妹たちとは関係がないらしく、わたしがリヨンから乗ってきたとき、自分の席をわたしに譲ってくれ、しきりに話しかけてきた。

 たぶん、わたしが乗り込むまでは向かいの席の姉妹たちと話をしていたのかもしれないが、あまり話に乗ってこなかったのだろう。わたしが入ってきたのを幸いに、席を譲ってくれ、それを機に話をしたかったのかもしれない。

 彼女は、わたしが空寝をしていることを知ってか知らでか、しきりにタバコやクッキーを勧めてきた。

 わたしは常の自分を保とうと試みたが、彼女は、わたしの屈託していることなど気にもせず話しかけてきた。

 このときは、どうして執拗に話しかけてきたのかわからなかったが、あとになって、彼女の心がしみじみとわたしの不透明な心にほのぼのとしたぬくもりを与えてくれたことを思えば、もっと積極的に彼女と接するべきだったと思う。

 実際、列車に揺られているこの時点でのわたしは無気力そのもので、何をするのも気だるく、ものを考えることにも疲れていた。

 このような無気力なときにこそ、思わぬ刺激を受けたなら、その刺激の性質によっては自己を破滅させるか、もしくは、人を傷つける行為に走るのではないかと、自嘲しながら彼女の話を聞いていた。

―― いったい何時だと思っているのだろう。目を閉じていれば、日本人なら遠慮して話しかけたりしないものだ。全くフランス人ときたら自分勝手だから嫌になる。 ――

 これがそのときの印象だった。

 ところが、わたしの不透明でいて、ささくれた竹の折れ目のような心に、相席の女性の声音は、春のいぶきのやわら日として、わたしの心にじわりと滲み込んできたのだった。

 いつの間にか、わたしは彼女の滑らかなフランス語に引き込まれてしまったらしい。そんな自分に腹立たしさを覚えもしたが、それ以上に、彼女の声といい、話の内容といい、わたしの心をしっかり捕らまえてしまっていた。


 鶏鳴が夜明けを告げるころ、列車はルールドの駅に着いた。一晩や二晩の徹夜で、寝不足を訴えるような年ではない。二十分ほど停車しているというので、わたしは相席の夫人と連れ立って長いプラットホームの端から端まで歩いてみた。

 マリア出現の地として全世界から巡礼者が絶え間なく訪れてくる寒村である。

 一八五八年二月十一日、村に住むベルナデットは、妹と共にストーヴで炊くための枯枝を拾いに洞窟付近に出かけていった。そこで彼女は聖母マリアと遭った。四月七日まで、都合十八回に及ぶ出現があって、聖母マリアは少女ベルナデットに、「罪人のために祈りなさい。悔い改めなさい」と言われた。当時フランスでは反宗教的な運動が盛んな時期だったため、人々はなかなか信じなかった。九回目の出現のとき、マリアは、泉の水を飲みなさい、と言って、ベルナデットに洞窟付近の土を掘らせた。そこから清水が湧き出し、その水を飲むことで、多くの病気が癒され、マリア出現から十五年目に教会は、世間に向けて正式に聖母マリアの出現を発表した。

 少女ベルナデットは、二二歳のときにヌーベル修導院に入り、三五歳で他界するまで、聖母マリアと約束した祈りを続けて、天国へ召されていったという。彼女の死後四六年を経て、彼女の墓地を発掘したところ、ベルナデットは生前のときと変ることなくほほ笑んでいた。

 そこでローマのバチカンは、一九三三年、正式に彼女を列聖したのである。

 やがて、ルールドは全世界のカトリック教徒にとって聖地となり、今も列車を借りきってこの地を訪れるのだという。

 視力の全くない人、口の利けなかった人、重いリューマチで松葉杖に頼らなければ歩けなかった人たちが、ルールドの聖水を目に差したり、あるいは飲むことによって完治して帰る者があとを絶たないといわれている。

 実際、ルールドの教会の壁には、全世界から巡礼してきて、事実、病気が完治した人たちの名と年月日が、医者と教会の認定書とともにかけられている。

 相席の夫人とわたしは、さわやかな朝の空気を胸いっぱい吹い込み、温かいコーヒーとサンドウィッチを買って車内に戻った。

 夫人は食べることと喋ることを順序よくやってのけ、次のような話をバイヨンヌに着くまでの三時間、わたしに楽しく語ってくれた。少し聞き違えた点もあろうが、そこはわたしの語学力の拙さに免じて許してもらいたい。


      二


 わたしの名はペルバンシュ・アモーと言って、生まれはサン・ジュリアンです。十五歳のときシャモニーに移りましてね、それは父がスキーの教官をしていたんですよ。

 シャモニーは夏スキーの盛んなところで、あなたのお国の方たちもたくさんやってきますよ。

 あなたはセント・バーナード犬という名を聞いたことがありますか? わたしの家にそれが三頭もいるんです。ラバ、パッキー、ロッシェ。ことにロッシェはたくましく賢い犬でしてね。

 わたしがなぜあなたにロッシェの話をするかと言いますとね、二年前、彼は猛吹雪の日に日本女性を助けたんです。そのときの顛末を、是非、彼女と同国のあなたにしたかったんです。聴いてくださいますわね。

―― そうだったのか。それでこの夫人は知らぬ顔をして寝た振りをしているわたしに言葉をかけてきたのか。 ――

 わたしは、さっきまでの何か気乗りしなかったのが一変し、ペルバンシュ・アモーの話に耳を傾けた。さいわいにといっては失礼かもしれないが、お喋りの婦人たちもひと休みしているとみえ、さっきまでの嵐のようなお喋りはどこかへ消えてしまっていた。もしかしたらペルバンシュ アモーの話に耳を傾けていたのかもしれない。

 コンパルティマンは静かで、規則ただしいレールの継ぎ目音と、マダム・アモーの快いフランス語だけだった。

『ペルバンシュ・アモー』。すてきな名前だ。彼女は、自分はこの名にそぐわない女だ、と言ったが、事実、彼女の言うとおりかもしれない。

 いや、『ペルバンシュ』という言葉を知らない人にとっては、わたしの思いに不服を唱えたくなるだろう。

 人は、往々にして肯定的に理解してはくれないものだ。だから、わたしの、彼女の言った、『この名にそぐわない』と言ったことに肯定したわたしに、人は目じりをぴっと持ち上げるであろう。

 誤解しては困る。たしかに、『ペルバンシュ』。つまり、雁来紅(ハゲイトウ)のように、どこか哀愁をにおわせる面はない。雁が渡ってくる頃に色づくところからこんな文字が当てはめられたようだが、季節的にもこの女性からは感じられないのだ。

 この草花にたいして哀愁を感じるのは個人的な感覚かもしれないが、わたしは、この雁来紅を朗らかな気分で眺めることができないのだ。

 わたしの家にこの花がかたまって植えられていた。葉っぱは紫蘇に似ていて、赤や紫の斑が美しいという者もいる。わたしも決して嫌いではなかった。

 ところが中学の夏、わたしが大切に飼っていた伝書鳩が雁来紅の下で死んでいた。それも、隣家の猫に食い殺されていたのだ。腸を食い破られ、蟻が群がっていて、嘴は地面に突き刺さっていた。

 隣家の猫は、わたしの家の広い庭が好きで、雁来紅の下が気に入っていたようだ。いつもそこでごろごろしていた。わたしも縁側に寝転び、雁来紅の下で手足を伸ばしきっている猫をよく眺めていたものだ。

 人に馴れきっていた鳩は、きっと餌でもつついていたのだろう。鳩の死骸を発見した日は、たまたまプールへ泳ぎに出掛けていたし、家族のものもいなかったという。

 不幸な出来事というのは、あんなことが、こんなことが重なって起きるものだということを如実に物語っているようなものだった。

 それからというもの、わたしは雁来紅を見ると、無惨な死に方をした鳩を思い出し、首を傾けた雁来紅が鳩の死を悲しんでいるように思えるようになった。

 その雁来紅という名を持つアモー夫人は、わたしのイメージする雁来紅とは違い、むしろ、フランス女性特有の明るさと人なつっこさで満ちあふれていた。年齢は四十半ばくらいで、彼女には五人の子供がいる。

 長男は既に結婚していて、シャモニーで、彼女の夫とスキーの教官をしながら、山で遭難した人を救助する隊員でもあった。長女はバイヨンヌに嫁いでいた。その娘のお産で、いま、初孫見たさで口実をつくって列車に揺られているところだという。

 次女と三女はディジョンの大学と高校、末の男の子は地元の中学に通っていた。

 マダム・アモーの声はやわらかく、エトランジェのわたしのために言葉をひとつずつ捜してくれ、発音も明瞭だった。

 それではマダム・アモーの語ってくれた話に入ることにしよう。





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