無明 第1回


森亜人《もり・あじん》



 白い砂の湖と呼ぶのがふさわしいのか、それとも白い岩の湖とでも呼ぶほうが、この湖にぴったりくるのか判断に苦しむと、パリから行動を共にしてきた若くて溌剌としている斎藤が言った。

 この湖は、ピレネー山脈の懐に包み込まれるように横たわっているのであるが、本当の名は、『ラク・ブラン』というのであるから、やはり、『白い湖』とでも呼ぶべきかもしれない。そんなふうなことを、斎藤は付け足すようにぼそりと言った。

 車も立ち入ってこない湖の周囲は、自然の息吹がどこといわず、かしこともなくきらめく陽の光が行き届いていた。

 私も斎藤も、そしてリヨンの寮で起居を共にしている青年で、フランス国営の点字図書館のヴァランタンアウイに勤務しているジャック・テターズと、彼の恋人で、リヨンから千二百キロも離れたこの村に住む彼の恋人エレーヌとその妹も、彼女たちの従兄が運転してきた車を林の外に捨て、ここまで歩いてきたのだった。

 これほど自然だらけだというのに、私は、何かもの足りなさを感じながら、松林の小道を歩いてきた。

 近年、日本人の体格も西洋人に追いつきつつあると言われているが、その点からすれば、私も斎藤も中間をゆく身長と体重をもっていそうな気がする。

 その斎藤の肩に手を置いて、私は小道を歩いていた。ある意味では楽しみと、何かに対しての不満をいだき、心はよそに向けて歩いていた。だから彼の言った内容がよく聞き取れなかったことと、彼の声が低く、あまりにもぼそりとした語調もあって、そのため、彼には中途半端な返事をしていたらしい。

 林を出たわれわれは、エレーヌが出かける寸前に思い出して牛舎の二階から引きずりおろしてきた大きなシートを砂の上に広げてくれたので、私は、その上に腰をおろした。砂は熱気に焼かれているらしく、たちまち厚いシートを通し、ズボンも貫いて熱さが尻に伝わってきた。

 二日前にこの村へ到着したとき、斎藤は、キャンプ地の林をじっくり眺め入ってから 「俺の生まれた北海道の景色にそっくりだ」

 と、大きなため息を吐きながら言ったが、たとえ日本より大きく北に寄っていても南仏は、砂まで沸き立たせるほど熱いらしい。

 シートを敷いた場所のすぐ後ろは松林で、十数メートル先に湖がはじまっているらしく、ときどき、波の打ち寄せてくる音が、人々の騒ぎの途絶えた頃合いでも計ったのでもあるまいが、一瞬の静寂の間隙を縫ってさわさわと聞えてきた。

「この湖の水はかなり冷たそうだねぇ」

 私は、シートを通して伝わってくる熱の暑さを思いながら、打ち寄せる波の音の輪郭がすっきりしていることに、座っている場所との感覚的な違いを感じてそう言った。

「どうなのかなあ……」

 斎藤は、少し腰を浮かせて前方を見ているようだったが

「諏訪湖とは比べものにならないほど澄んでいるから冷たいかもしれないですね」

 と、少し感慨を込めた声で言った。

 私は、思わず苦笑した。彼の出身地である北海道の湖の名を口にしないところや、わざわざ私の郷里にある湖の名を口にするところなど、盲人である私を庇ってくれてのことであろう。それとも、諏訪湖に思い出でもあるのだろうか。

 それにしても、彼は現在の諏訪湖の汚れをどこまで知っていてそう言ったのであろうかと、いま実際に聞えてくる波のざわめきとは全く違うところの彼の知識の程度を思ってしまった。

「そんなに奇麗なのかい?」

 私は、自分の心に浮かんだ想念を打ち消してそう言った。

「湖の底が真っ白に見えますよ」

「浅いから見えるんだろうに」

「いや、諏訪湖の三分の二くらいの大きさですが、見た感じではなかなか深そうに見えますよ」

 斎藤は、浮かせていた腰を本当に持ち上げ、湖の底がよく見えるあたりまで歩いてゆき、戻ってきながらそう言った。

 私は、今度は驚きの思いで顔を上げて

「斎藤君は諏訪湖を知っているのかね」

 とたずねてみた。

「高校時代に北アルプスの白馬に登ったことがあります。その折りに諏訪へ泊まったことがあるんです」

 初めて聞く話だった。

 むろん、不思議なことでもなんでもないことだ。私が彼に初めて出逢ったのはパリに着いた夜のホテルのロビーで、目的地が互いにリヨンだったことと、語学力が同程度ぐらいであったことと、異国での同国人という気安さが、日本にいても決してつき合う筈のない二人を今日まで結びつけていたのだ。

「それで諏訪湖のことを知っていたんだねぇ。それにしても、君の歩く音ばかりでなく、他の人たちの靴音がよく聞えないけれど、ここの砂は思ったより、やわらかなんだね」

 私は、足元の熱い砂を手に掬い上げながら言った。

 手のひらの砂は、ガラスを完全に粉にしたようにさらさらしていて、指の間からするりと滑り落ちてゆくのだが、指の腹で砂の表面を軽く触ってみると、ガラスの粉末どころか、ちょっぴりなめてみたくなるほどの感触であった。

「そうですよ」

 そう言って、斎藤は、再び私の横に腰をどさりとおろして、右の手をごそごそ動かしていた。彼の肘が私の左の脇腹をこずくのをさりげなくよけながら

「湖の周り全部が砂地になっているのかね」

 とたずねた。

「いいえ、俺たちの正面は絵でも描きたくなるほど真っ白な岩壁になっています」

 斎藤は、くぐもった声で言った。

 フランスのタバコは平均あまり良い香りではないが、なかでも独特の匂いをもったゴーロワーズのきつい匂いが、私の鼻の先を撫でるようにして流れていった。

 そのとき、私は、林の小道で感じていたもの足りなさがなんであるかわかった。

―― 鳥の声、蝉の声。そうなんだ! 日本では必ず聞くことのできるこれらの声がしないのだ。 ――

 林の外から湖のところまでだって数分は歩いた。だが、日本のように葉陰で美しくさえずる小鳥の声も、やかましく鳴き立てる蝉の声もここには無かった。ここの自然が死んでいるわけでもないであろうが、音が無いと、なんとなく死の世界を想像してしまう。林のなかの静けさを今になって感じたのは、湖の周囲の賑やかさのためだろう。

 もっとも、陽の強い時刻だから小鳥たちは葉の陰や枝の入り組んだ陰で涼しくなる夕方を待ちながら仮眠を楽しんでいるのかもしれないが、それにしても蝉くらい鳴き立ててもよさそうなものだ。そういえばリヨンでも蝉の声を聞いた記憶がない。むろん、パリでは全く聞いた覚えがない。この湖のある村あたりは、蝉が生息できる北限を過ぎているのであろうか。

 自然を奏でる生き物の声がしないことは、ペンチでむりやり歯を抜かれたときの頼りなさに似ているように思える。湖の周囲は、夏の休暇を楽しむ人の声で満ちているが、自然を腹いっぱい吸い込みにきた私には不満だった。

 フランスという国は、視覚的な美しさに富んでいるようだが、聴覚的な美しさには少し欠けているようだ。私は、もの足りなさを自然界の音の無いのに決めつけたわけでもないが、心のどこかでそう落ち着かせていた。

 音らしい音がなくても、嗅覚をくすぐる爽快な空気や、新鮮な木の匂いや、そちらこちらに咲く花の香りもあった筈だ。それらの嗅覚に訴えるものの存在を誰よりもよく感じ取っていたにもかかわらず、私は、林から受けたもの足りなさを聴覚を刺激しないことに押しつけていた。

 こうして直射日光を浴びている今でも、私はこだわりをもってそのことを思っていた。頭上に覆い被さってくる木々の枝や葉の重みを全身の皮膚感覚ではなく、どんな些細な刺激にも敏感に反応する心の凸面部で感じ取っていたのであった。

 だが、今はそんなことに思いを煩わせていてはいけないのだ。太陽の輝きと、人々の騒ぎのなか、まして斎藤たちのいるところでは許されることではない。いや、それほど考え込むほどのことでもないのかもしれないが、それでも私にはやはり重く厳しい事柄であった。

 そんなことを考えているところへ、エレーヌが手作りのパン菓子とよく冷えているコーヒーを持ってきてくれた。彼女はきょうのために妹を手伝わせて、昨日から準備していたのだそうだ。

 彼女も弱視で、サボア出身のジャックとはどこでどのように知り合ったのか知らないが、とにかく仲の良い恋人同士らしく思われた。その彼女が、私の手のひらにパンを置きながら

「この村の印象はいかがですか?」

 と、どこへ行っても必ずといっていいほどたずねられるこの手の質問をここでも受けたのであるが、少なからず不満を感じていた私は、明るく語りかける彼女の心をおもんばかると同時に、美味なる昼食を頂戴した手前、自分の印象そのままを彼女に告げることは憚られたので

「静かで、太陽がいっぱいで、広い林があって、心を休ませるにはいい場所ですね」

 と、私は言った。

「心を休める?」

 彼女は口のなかでそうつぶやくように聞き返してきた。

 確かに私は、そう言ったが、それは真実の言葉だった。彼女に不審をいだかれてそう聞き返されても私は、彼女に説明するつもりはなかった。

 説明するどころか、私の内面に住みついていて、私がどんなにそれを取り除こうとして書物を読み、寺の冷たい床に何日も座禅を組んでも、いったん心の内壁に食い込んでしまったシミを退治することができないでいる今、全身の神経を他の部分に向けていたい心境だったのだ。

 彼女は、私の表情のなかに踏み込むことを許さない気配を感じ取ったのか

「これ食べて下さい。妹と作ってみました」

 と言って、斎藤にもコーヒーとパン菓子をわたすと、少し離れたところで笑い合っている彼女の妹とジャックの座っているシートのほうへ行ってしまった。

 どのくらい座っていたであろうか。頭の上からじりじりと照りつけていた太陽の直射に、僅かではあったが幾分かの陰りを感じ始めた。目の前を人々が楽しそうに語らいながら歩いていく。少女たちなのか少年たちなのか、私には判別できないような澄んだ声で、互いの名を呼び合いながら子供たちが自転車を幾台も連ねて通りすぎもした。

 喉の乾きも納まり腹も満ちた頃、ジャックたちが立ち上がって、少し歩いてみよう、と誘いにきた。私は、何となく気だるさを心に感じていたことと、涼しい風が頬を撫でていくことに満足感を覚えていたので、自分はここで寝転んでいるからと言って、斎藤と彼らを送り出してやった。

 私は、彼らの足音が消えない前にシートに手足を伸ばした。ちょうど林の木の枝が顔の上に被さってきているらしく、陽を遮ってくれ、手をかざさなくても済みそうだった。

 湖面を渡ってくる風のなかにさわさわという波の音がしている。林の梢を掠めていく風の音のなかに秋の気配を感じさせるものがあった。それらの音とは全く異なる、それはその音色だけを取り出したような鳥の声が、林の奥のほうから聞えてきた。

 三色の違う音が規則的に聞えてくる。私は、誰かが口笛でも吹いているのかと初めは思ったが、音色のあまりの美しさに、それが人が吹き鳴らす口笛でもなければ、草笛でないことを間もなく知り得た。

 もし私に音楽の素養でもあれば、静かな声で歌う鳥の声を五線紙にすらすらと表わすことも可能であったろうが、残念ながら私には音を聞き分ける力はなかった。それでもこの鳥の声を自分なりに表現すれば、最初の音をドと決めたとして、二番目の音はミ、そして三番目の音はソで、しかもくるりと音が跳ね上がるのだ。たった三つの音の繰り返しでありながら、他に生き物の声の無い林では、完全にプリマドンナの役をその鳥は演じていたと言えそうであった。

 私は、自分がシートに寝転んでいたことも忘れ、斎藤たちを散歩に送り出したことも完全に忘れていた。林の奥から聞えてくるその鳥の澄みきった声音に、私は、ただただ耳を傾けていた。

 周囲を歩く人の気配もなければ、甲高い子供たちのきりきりした声も消えてしまっていた。自分だけのために語りかけてくるように思えるほど、その鳥の声は私のもののようであった。

 枝から枝へ渡っていくらしく、声は遠くなったり近くなったりしていた。もっとも近づいたとき、私は、頭を持ち上げ、林の奥に全神経を傾けてみた。羽音まで聞えてくるかと思われるほど林は静まり返っている。しごく単純な音色なのに、私の心に感動を呼び起こさせるものがその鳥の声に滲み出ていた。

―― 何と言う名の鳥だろうか? ――

 かつて日本では聞いたことのない鳥の声だった。

 日本に住む野鳥のなかで声の美しいのは何といっても駒鳥であろうし、大瑠璃でもあろう。鴬は馴染み深い鳥だ。今こうして名も知らない鳥の声を聞いていても駒鳥も大瑠璃も鴬も美しい声を持っていると思う。だが、私の心にぐいぐいと滲み込んできて、しかも全身の力を奪っていくほどの魅力は駒鳥や大瑠璃には持ち合せていないと思う。

―― この鳥にしかないのだ。 ――

 他にも野鳥の声があったなら、これほどまでに私の心を奪わなかったであろう。日本に生息している鳥のなかで、『仏法僧』という名をもらっているものがあるが、実際の名は木の葉木莵というらしい。仏法僧という名の鳥が、果たして実際に―― ブッポーソー ――と鳴くかどうか私は忘れてしまったが、ブッポーソーという声を聞いていると心が洗われ、仏の情に縋りたくなるそうである。そしてみると、いま南仏の林の奥から聞えてくる鳥は、日本で言う仏法僧なのかもしれない。しかし、日本の木の葉木菟とは随分と鳴き方が違っているようだ。





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