闇に溶けるまで その3


森亜人《もり・あじん》



 おれは共に帰国することなくフランスにとどまっていた。もう秋も深まり、プラタナスの葉が歩道にばさばさと落ちる季節になっていた。

 先輩が一時帰国したあいだに、ミシェルはメゾンから姿を消していた。きっと、きちんとした理由で去っていったのだろうが、おれにはミシェルが忽然と姿を消したとしか思えなかった。

 ミシェルは前の日の夜まで、坂の上にある古い建物に住まわせてもらっているおれのところへ遊びにきては、明るくエンリコマシヤスのソレンツァーラを歌っていた。もともと英語という下地があったおかげで、その頃にはミシェルの話の半分は理解できるようになっていた。

 そして、先輩がフランスへ戻ってきたのは、小雪がちらつく十二月中旬だった。当然のことながら、おれはパリの空港へ先輩を迎えにいった。

 今も思う。あれから半年後、いや、正確にいうなら、年も明けた春まだあさい頃からというべきだろう。漠然とではあったが、先輩の精神に少しずつ変化が生じはじめた。

 先輩はフランスにおける福祉事業のあり方についての学習を終え、おれはフランス語教室での授業を終えての帰りだった。

 大学橋に人が群れていた。どの顔も欄干から身を乗り出すようにしている。  おれも先輩の手を取って、人ごみにもまれながら、欄干に近づいていったが、そこは人でごったがえしていた。

 ローヌ河の源はスイスだが、きっとこの強烈な寒風はアルプスおろしというやつなんだろう。誰も口を閉ざしていた。誰も沈うつな表情を水面に向けていた。
「どうしたんだ?もしかしたら身投げでもあったのか?」

 先輩が聞く。おれは
「とにかく人が多くて下を見ることができないが、どうやらボートが出ているらしい。」

 と言った。

 ボートの出ていることは先輩にもわかっていたらしい。なぜなら、周りの者たちが水面に向かってそれらしきことを叫んでいたからだ。
「モーターボートの音だ。きっと入水した者を引き上げようとしているんだろうな。」

 先輩がつぶやいた。

 おれには下の様子が見えないので、先輩の言ったことに応ずる言葉がなかった。ただ、欄干から身を乗り出している人々の顔が岸に向いたのを見て
「どうやらボートに引き上げられたらしいよ。助かればいいが、この寒さじゃ生きちゃいないかも。」

 人の波が大学のある岸に流れはじめた。自然におれたちも流されて戻る格好になってしまった。ところが、先輩は波に逆らい、全身で流れを押さえ
「健介、おれたちは帰ろう。たぶん死んでいるよ。見ても仕方ないだろう。」

 そう言うと、先輩はおれの腕を掴んで人の流れから車道へと引っ張っていった。

 大学橋の一件のことで警察がメゾンのポニャール神父を訪ねてきたことから、あの時の死者がミシェルと判明するまで数日があった。もしあの時、水から引き上げられた死者と対面していたら、もっと早く身元がわかり、ミシェルを取り巻く事件もきちんと解決していたかもしれない。

 あの時も、しばらくのあいだ、おれはその事で頭を悩ませたものだ。先輩は、おれから見れば、冷たい人と言いたいほど冷静だったように思われた。実際は違っていたが。
「瑠美子さん、先輩が父親の葬儀のために帰国した時ミシェルの話をどこまでしたか知らないが、おれの聞いた話を聞いてくれるかい?」
「わたしが聞いたのは、ミシェルはアルジェリア生まれの青年で、両親もいないこと、兄と妹がいたが、今はどこにいるか離れ離れになっているということだけだわ。」
「そうなんだ。先輩はそれ以上のことは話さなかったんだね。おれもしないほうが良いのかもしれないけれど、ミシェルの死と先輩の死とはどこかで繋がっているように思うんだ。だから話すけれど、これが最初で最後にするね。」

 瑠美子は何か改まった気持ちになったのか、おれの肩から頭を上げて真っ直ぐおれの目を覗き込んできた。

 おれは、瑠美子がゆっくり注ぎ足してくれたビールを喉に流し込んで瑠美子と正面になるように回転いすをくるりと回した。
「瑠美子さん、ここを出よう。こんな場所で話せるような話じゃないよ。」
「そうね。あなたを訪ねてパリへ、でも、あなたが会社のご用でリヨンへこなくてはいけなかったので、ただついてきちゃったものね。少し歩いてみたいわ。」

 そういえばそうだ。瑠美子がおれを訪ねてパリへやってきたのは一昨日の夜だった。おれは親父が経営している会社のパリの事務所で働いている。瑠美子は外資系のマスコミに勤めていたが、夏休みを利用してパリへやってきたのだ。
「先輩とおれが寝起きしていたメゾンの丘陵の続きにサン ジャン教会があってね、先輩が病むようになってからしばしば行ったんだけど、そこへ行ってみるかい?」

 瑠美子は夕陽に目を細めながら小さくうなづいた。

 ケーブルカーの乗場までタクシーを使った。乗場近くにあるスーパーで買い求めたパンと果物を取り出して、サン ジャン教会の前庭に置かれたベンチに座って、瑠美子とおれは空腹を満たしてからゆっくり言葉を選んで話しはじめた。

 おれはミシェルの死の原因について先輩の話を聞きたくて、坂の上の建物から、下の建物に下りていった五年前の冬を思い出している。

 瑠美子とおれは、サン ジャン教会の前庭のベンチに座っていた。当時には気づかなかった先輩の僅かな変化を今では確証することができる。

 先輩は机に肘をついてしばらく考えているようだった。別にミシェルとの話を思い出そうとしている様子ではない。どう話せば良いか考えているふうだった。いや、それも適切な見方でないような表情だった。

 どのくらいそんな姿勢でいたろうか、ゆっくり頭を上げると、ベッドに腰掛けているおれに顔を向けてさも憂鬱そうな口調で話し出した。

 先輩が話してくれた内容は長かった。内容そのものはそれほどのものでなかったが、やたらに婉曲的な物言いだったし、聞いているおればかりでなく、話をしている先輩自身も、自分が何を語っているのかわからなくなっているみたいなところもあった。

 アルジェリアは長い年月、フランスの植民地だった。一八三一年から一九六二年の独立まで百三十二年間というもの、政治的・経済的に支配され、アルジェリア国民は少数の植民地支配者と本国のフランス政府に服従を余儀なくされていた。

 アルジェリアの国民は誰もが自らの手で治める国を欲し、君臨する支配者から国土を守ろうと各地でゲリラを組織して抵抗し続けた。アブド・アルカーディルにせよ、青年アルジェリア運動民族復興にせよ、ベン・バディースの指導するウラマー教会の政治的・文化的地位向上運動にせよ、第二次世界大戦後における民族解放運動にせよ、悪政を打破しようと、命を投げうった人々の集団だった。

 一九六二年、ついにアルジェリアはフランスから独立を勝ち取った。無論、その背景には、フランス国内の政治不安や、軍内部の叛乱もアルジェリアの独立を早めさせた一因に挙げられよう。

 一九六二年の独立後、三代にわたってアルジェリア国民によって政治は治められてきた。建国当初、ベン・ベラによって建られた民族解放・軍の強化・経済の復興などはブーメディエン、ベンジェディドと受け継がれ、ようやく国民のための政府が樹立した。

 これはアルジェリアの独立を勝ち取ったいきさつだが、先輩とおれとで大学の図書館で細々と調べたものだ。

 独立のためなら自己犠牲を惜しまなかったアルジェの人々の運動の陰で、ミシェルのような青年も数多くいたのだ。ミシェルしか知らないおれや先輩にとっては強烈なインパクトだったといえよう。
「話し終えた時にね、先輩はおれに 『カスバの女という歌を知ってるかい?」 と言ったんだ。瑠美子さんは知ってる? おれは知らなかったんだ。そのときはね。」
「わたしは知ってるわよ。 涙じゃないのよ浮気な雨に というのが歌詞の導入部よ。それでね、そのあとは、 ちょっぴり この頬濡らしただけさ ここは地の果て アルジェリヤ どうせカスバの夜に咲く 酒場の女の うす情け ていうのよ。でも、2番と3番は駄目。カスバってアラビア語でカサバというんでしょ。砦とか、堀で囲まれた一郭を指すのよね。」

 瑠美子が小声で歌ったのだ。

 おれは驚いた。フランス系のミッションスクールを下から最高学年まで一直線に進んできた瑠美子が、飲み屋を出入りしてきたおれの知らない歌を知っていることに驚くほかなかった。モロッコやチェニスでは砦の意味合いが強いが、アルジェリアでは場末の酒場が集まっている場所をそのままカスバと呼んでいるようだった。
「その歌と、先輩の話と何か関係があるの?」

 瑠美子はブルーベリーの粒を一つ摘まんでおれの口許に差し出した。こういうものも食べないといけないわよという目だった。

 おれが、この手の果実を好まないことをいつも指摘して
「健康のために食べてね。」

 と言っていたのだ。

 おれは、仕方なく口許でじっとさせているブルーベリーを瑠美子の指先と一緒に口に入れた。そうすれば、食べられないものも食べられるような気がしたからだ。

 ブルーベリーの甘酸っぱさと、瑠美子のやわらかな指先の感触が心地よく前歯にある種の喜びのようなものを味わわせてくれた。
「先輩からミシェルの話を聞いてからというもの、カスバの女という言葉に秘められたイメージは、夜の酒場しかなかったんだけど、先輩の話を思い出すにつけ、ミシェルの生い立ちに落とされた暗い陰に弱者をとことん痛めつけることに何の抵抗も感じない国という生き物を呪うようになったくらいなんだ。」

 おれはサン ジャン教会の庭をちょこちょこ歩いている鳩たちを目で追いながら、いつもにこやかにしているポニャール神父の顔を思い出していた。

 先輩に対するポニャール神父は、本当に聖職者そのものだった。
――と思うのだが。――

 ところが、ミシェルや、ベトナムの青年の話を聞くと、えっ? という思いにさせられたのだ。

 そんな神父の態度や、他の連中がミシェルたちに対する姿に接し、先輩はある種の失望感に襲われ、福祉という言葉の陰に潜む得体の知れない権力の惨たらしさを直覚したのかもしれない。

 決してポニャール神父がミシェルたちのような混血児に冷たく対処していたとは思えないが、国の施策としてそうせざるを得なかったと、今ではよく理解できる。

 きっと、先輩も帰国して日本という国の香りの中に暮らしていたなら、精神を病まずにすんだかもしれない。今になっては空虚な絵空事だろう。でも、おれが先輩の変化に気づいて無理やりでも良いから帰国していたらと、つい考え込んでしまうのだ。
「瑠美子さんもロンドンの大学に行っていたからわかると思うけど、日本人は外国で暮らしていると、どこかおかしな気分になるように思うけど、そんなことなかった?」
「わたしの場合は半年だけだったから夢中で過ごしたみたいね。」

 たしかにそうかもしれない。おれも先輩と共にリヨンへきた半年くらいは何気ないうちに過ぎてしまった。だが、そのあとの半年は先輩にとっては苦痛の連続だったのだろう。






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