雪解け 第12回
森亜人《もり・あじん》
第二次世界大戦の焦臭い臭いが日本国内に漂う頃、コルベ神父は長崎市内にある彦山に住み、宣教活動に励まれておられた。藁を重ねた上に休み、蜜柑箱を机代りにしての生活だったそうだ。
これから彼の教えが皆の心に染み込んでいくときになって、ローマからの命令で母国の修道院長としてニェポカラヌフに戻った。そこでも清貧と奉献につとめられ、ナチス軍に捕らわれた人々の先頭に立ってアウシュヴィッツの収容所に向かう列車に乗り込んでいかれたのだ。
彼が赴任していった頃のニェポカラヌフの修道院は世界最大の規模を誇っていたという。修道院そのものが一つの町を形成していた。そこには社会を構成している全てのシステムが備わっていたそうだ。それから約六十年、当時の名残をとどめた町へ私たちは出かけていった。
教会の前の通りは静かだった。ほとんど車が通らない。現在では規模を縮小しているが、それでもかなり広い教会の敷地内を二人三人と小さなグループが小声で何か言いながら私たちの横を通りすぎていく。
バシャの肩に手を置いてゆっくり歩いていくと、全身を圧するような感覚に、私は思わず上に顔を向けた。
「教会の入口よ」
バシャが周囲をはばかるように言う。
聖堂内は人の気配を感じさせない静けさで満ちていた。バシャはそっと床に跪いて
「オイツァ イ セナ イ ドハ シェンテゴ アーメン」と言う。
日本人の知人に、いま彼女が言った言葉の意味を聞いたことがある。それによると、十字の印をするときに言う言葉で、父と子と聖霊との御名によってアーメンということだそうだ。バシャは教会の前を通りすぎるときでもこの祈りを口にするのだ。
これは三位一体を表していて、キリスト教の天恵の象徴なのだそうだ。神は唯一であって、父と子と聖霊の三つのペルソナを持ち、それぞれが独立しているという。私には理解を超越した神学としかいえない。
誰かのために、それも名もない人のために命を奉献することが最も神に愛される。説いている意味は何となく理解できそうだが、心のどこかで首を横に振りたい教えだ。
全く見ず知らずの人のために。まして、相手が路傍の雑草のような人間と見られている者のために。だが、バシャや、別れた女に共通して持っている精神は、やはりキリストが説くこの部分だった。
コルベ神父の歩まれた道も同じだ。バシャたちが同じ行動を取るかどうかは別として、自ら自分の命を何の抵抗もなく捧げることなど、私には夢の世界だった。
コルベ神父にまつわる遺品が納められた博物館をバシャの案内で巡った。話で聞かされていたとおり、全てが粗末な品ばかりだった。実際に寝起きされていたという一坪くらいな部屋に入ったとき、私の心に言いようのない悲しみが襲ってきた。
その悲しみが何であるか、どうしてそんな感情が急に浮上してきたのか説明できない。十年前に別れた女が喫茶店の片隅で声を殺して泣いていたあの悲しみが伝わってきて、それが私の心に投影されたような悲しみだった。
コルベ神父は、共に入牢させられた人々を天国へ送り出したあとも生きておられた。ナチス軍の若い将校が、そろそろ死んだであろうと餓死室へやってきて、小窓から覗き込んだとき、じっと見つめていたコルベ神父の眼差しに平常心を失ったという。
彼が寝起きしていた部屋に入ったとたん、私を襲ったのは、ナチス軍の将校に向けられた眼差しだったのではないだろうか。何ともいえない悲哀に満ちた眼差し。彼は私に何を語ろうとしているのだろうか。そんな疑問が湧き上がってくる雰囲気だった。
「何かとても悲しいわね」
バシャが耳元で言った。
やはりバシャも同じ感覚に捕らわれていたのだ。バシャが感じているものと、私が感じているものと同一だとは思わないが、きっと誰もがこの部屋を訪れれば感じる悲哀なのかもしれない。
人間が人間として持ち続けてきたどうしようもない感情。拭っても消えることのない醜さが、ここではベールを取り去った姿で見せつけられるのかもしれない。個人の悲哀ではないもの。もっとスケールの大きな悲しみなのかもしれない。私はその悲哀の池に首まで浸かってしまったようだ。
殉教したコルベ神父にふさわしく、教会も博物館も質素で、人間の心の最も深い部分に包含している痛みのような雰囲気を持ったところだった。
今が秋でよかったと思う。もし、これが冬の凍てつくような季節に訪ねていたなら、きっと私は自分が抱えている人間としての怯えのために心がすっかり沈んでいただろう。
バシャの口数が減ったのは、コルベ神父からアウシュヴィッツへと連想が及び、自分の祖父や、知人たちがカティンの森でソ連群に虐殺されたことに至ったためかもしれない。それは、私の思いとは違い、もっと生々しいものだったであろう。
見学したあと、町の小さな喫茶店に入り、そこで軽食を取った。ボリュームのあるものを食べる予定でいたのだが、コルベ神父の匂いのする博物館での印象が強すぎ、二人とも食欲が湧いてこなかったのだ。
私たちは気分を少しでも高揚させようと、そのまま帰宅しないことにした。ニェポカラヌフの帰りにワルシャワの旧市街に立ち寄ることにしたのだ。
バシャの提案だった。