雪解け 第13回
森亜人《もり・あじん》
旧い佇まいが残る町角に車を置いて、人が群れている通りをゆっくり歩くことにした。生クリームの甘い香りが外まで漂ってくる町並み。この国の特産物である琥珀を使っての細工物の店。
古い布地なのか、建物全体が吐き出す歴史の吐息なのか判断のつかない一種独特の匂い。店の奥に飾られたマリア像や、聖人たちの石膏細工が並ぶ店。私はそこで賛美歌のカセットテープを買った。
買って驚いた。日本ならきれいな包装紙で、しかもリボンまでかけてくれる。ところが、ここではケースに入ったテープを渡してくれたのだ。それを受け取ったとき、私はまだ日本の生活から抜け出していないことを改めて意識させられた。
その意識が無性に寂しかった。一年半もこの国に馴染んできたというのに。この寂しさはニェポカラヌフの町から引きずってきたものかもしれない。
私の心には、三時間を経たいまも、心の深みまで迫ってきたコルベ神父の悲哀が翳も薄めないで残っていた。
帰りの車中でもバシャはあまり話をしなかった。何を考えているか聞きもしなかったが、彼女なりに心に刻まれたコルベ神父の深い悲しみを感じていたのではないだろうか。
広場に出ると、ラテンの名曲としても知られているラ パロマのどこか間延びした曲が聞えてきた。
私たちの前を数人の歩行者が行く。彼らが楽隊の前にさしかかると音楽が急に変った。それまでのものと全く違う曲。それも私がよく知っている曲だった。
坂本九の上を向いて歩こうだった。
「この曲を知っている?」
「知っているわよ。日本の歌でしょ」
ポーランドでも日本の歌が聞けるとは驚きだった。長く病の床に伏せていたとき、ゴウォンブ氏が持ってきてくれたラジオを聞いていたが、日本の音楽を一度も聞いたことはない。それ故に、こんなところで図らずも日本の歌に接することに不思議なものを覚えた。
「ねえバシャ、君は上を向いて歩くときってどんなときなんだい?」
「さあ…… 考えたことないわ。どうして?」
どうしてと逆に問われても私としても即座に答えを持っていなかった。ただ、ポーランド人は悲しいときに上を向いて涙のこぼれるのを我慢するだろうかと思ったのだ。
それなら、どうして日本人は人に涙を見せまいとするのだろうかと自分に問い直したとき、やはり自分でも納得できる答えなど見つかりそうもなかった。
「あなたはどうなの?」
バシャが私の左腕を抱くようにして耳元で囁いた。
どうして彼女が急にそんな行動に出たのか私は戸惑ってしまったが、その理由はすぐに解消した。前を行くグループから期せずして歓喜の声が上がったのだ。
彼女たちは日本人だった。だから演奏者たちも心得ていて日本の曲を奏でたのだ。そうすれば実入りも増すからだろう。
どうやら商魂のたくましいのは日本人やユダヤ人ばかりではなさそうだ。私はおかしくなって、バシャに取られている腕を抜いて彼女の背にまわし、彼女を引き寄せて耳元に囁いた。
「ねえバシャ、上を向いて歩くときって、おかしいときか、さもなければ悲しいときだよ」
「まあね」
バシャは私の胸に上半身をもたせかけるようにして言った。
ジャズ風にアレンジした上を向いて歩こうもいいものだ。バシャも私も少し心が沈んでいる。前を行く日本人グループの歌声に誘われて、私も小声で歌ってみた。そのとき、軽い曲に合せるかのように、広場の反対側から水笛の音色が聞えてきた。
「あら!ミハウとゴシャだわ」
バシャが水笛の音のするほうを見て言った。
「ミハウって誰?」
「あなたの生徒さんじゃないの」
ミハウと聞いてすぐわからないのは当然だ。この名前はあまりにも多いからだ。受け持っているクラスにも三人はいる。私はちょび髯の青年を思い出した。
「ふふふ。水笛でも買うつもりみたいね。とても仲よくしているわよ。そっとしておきましょうね」
私は二人の生徒の出現で心が和んだ。若いことは素晴らしいとも思った。前を向き、上を向いて歩くべきだろう。私はもう一度バシャを強く引き寄せて歩を進めた。
バシャと共に行ったニェポカラヌフの記憶が醒めないあいだに季節は冬になっていた。
戸外に冬の到来を知らせる冷たい風が吹き荒れるようになると、咳込む回数が目立つようになってきた。
そんな夜はますます夜の長さを痛感する。ベッドに深く座って壁に寄りかかり、バシャと取り留めのない話に時の経つのも忘れ、思わず深夜になることもあった。
それでも二人のあいだには越すことのないラインが引かれていた。長い口づけをするほどになっていながら、二人は体の関係にまで及ばずにいた。理由を捜してもお互いに納得できるものを発見できなかった。というより、精神的な充足感に満足しているところがあったのだ。
結婚前に体を与えることを罪と思うほどバシャは石頭のカトリック教徒でもなさそうだ。私が求めていきさえすれば、身を任せる素振りもあった。もしバシャが躊躇するとしたら、私の体を気遣ってのことくらいだろう。むしろ一線を越せないでいるのは私のほうだった。