雪解け 第4回




森亜人《もり・あじん》

 一年間、私はワルシャワ盲学校に滞在して日本における指圧の理論と実技を教えることになっていた。学期が始まるまでの十日間、ゴウォンブ兄妹は私を彼らの郷里でもあるこの町へ連れてきてくれたのだ。思えば、ひょんなことが切っ掛けでワルシャワ盲学校へ臨時指導員としてやってきたものだと思う。

 ゴウォンブ氏とは二十数年来の友で、彼と初めて口を利いたのは、パリのモンパルナスにある外国人向けの学院アリアンスフランセーズの教室だった。

 彼が私に近づいた大きな理由は、特殊教育に専念する強い意志があったからだ。国立の点字図書館であるヴァランタン アウイの仕組みや、視覚障害者への社会的対応について知識を得るためだった。

 我々に共通する言葉といえばフランス語しかない。私の語学力が増すにつれて友情は深まっていった。

 彼は、日本における盲学校教育や、日本古来から伝承されてきたはり・灸・あん摩にも強い興味を引いた。机を並べていた一年間、時おりおりに彼は日本の盲学校教育について熱心に聞いてきたものだった。

 アリアンスフランセーズを卒業するとき、必ずいつか旧交を暖め合おうと約束して別れた。その後は文通で互いの健康を祝福してきたが、彼がワルシャワ盲学校長として赴任したことが切っ掛けとなり、今回のポーランドへの渡航が実現したのだった。

「この町も戦火に焼かれなかったので幸いでしたよ。私たちの祖父はソ連軍にカティンへ強制連行され、それきりになりました」

 ゴウォンブ氏が遠方の景色でも眺めているような声で昔を語ってくれた。

 彼らの祖父はヤゲウォ大学で哲学の教授をしていた。彼らの祖父と共にソ連軍に引っ張られていった学者は数多かったそうだ。ほかにも多くの学識者がクラクフから連れ去られた。そして、誰ひとりとして戻ってきた者はいなかったという。

 私は強制連行という言葉を聞いて思い出した。アウシュヴィッツはクラクフからそれほど遠くない。ポーランド人にとって、「アウシュヴィッツ」という言葉は思い出したくもない名だろう。ポーランド語では「オシヴェンチム」というが、バシャにいうと

「ここからなら数十キロくらいなものかしら。行きたいですか?」と問われた。

 別段アウシュヴィッツへ行きたいとも思っていなかったので、私は首を横に振って

「強制連行という言葉を聞いたものだから、ついアウシュヴィッツを思い出したんです」と言った。

 私は子供のころに祖母から聞かされたアウシュヴィッツでの過酷な労働と、餓死室での陰惨な虐殺の話を思い出した。それと同時にある人物の名も合わせて思い出した。

 マキシミリア コルベ神父。日本人のカトリック教徒には懐かしい人物だろう。長崎県においての布教活動の一端として、苦労に苦労を重ねて出版に漕ぎ着けた『聖母の騎士』という冊子。やはり祖母にその冊子を見せてもらった記憶がある。

 クラクフの古い都はそんな忌まわしい過去を抱え込んだ町の近くにあるのだ。現在のポーランドを語るとき、この二つの町の名を思い出さないわけにはいかないだろう。アウシュヴィッツの収容所の周囲は閑散としているという。それに対し、クラクフは静寂な中にも威厳と優雅さが感じ取れた。

 私たちは昨年に建てられた日本美術館を見学したあと、ヴィスワ河を渡って、中世がそのまま残っている通りへ向かった。バシャは私の足元に気を配りながらフロリアンスカ門に近づいていった。

「アウシュヴィッツといえば、あなたはこんな詩を聞いたことがありますか?」

 バシャはフランス語を捜すようにゆっくり次の詩を朗読した。

母さんへ ぼくは元気です
それにとても調子がいいんだ!

「これはアウシュヴィッツの収容所から一人の少年が母親に送った短詩なんです」

 残念ながら私は彼女が言う詩を知らない。これは恥ずべきことかもしれないが、彼らの同胞が虐殺された事など知るはずもなかった。世界大戦後、日本はアメリカに占領された。しかし、我々の誰もがポーランド人のような惨たらしい略奪もなければ、虫けらのように殺されるようなこともなかったはずだ。

 その事実は占領した国が抱えている思想というものだろう。もし、日本もポーランドと同じような思想の国に占領されていたならと、つい心を寒くさせた。まあ東京裁判という歴史的な歪みの一ページもあるにはあるのだが。敗戦国が味わわねばならない悲哀とでもいうべきかもしれない。

 少年の読んだ詩の短さが却って多くを語っているように私には思えた。決して収容所内の本当の姿を書けない気持、そして、親に心配を掛けまいとする優しい少年の心。私は、雪解けの雨垂れがぽたぽた落ちる通りを歩きながら、戦争の惨酷さを感じていた。

 広場に出る通りは閑散としていた。観光地でもあり、日曜日となればさぞ人で賑わっているだろう。

 雨垂れの音が通りを埋め尽している。激しく落下しているところもあれば、ぽたりぽたりと落ちているところもあった。

 私はバシャの肘に軽く触れて歩いていった。ほとんど人の気配がない。ときおり水しぶきを上げて車が通り過ぎていくくらいなものだった。

「今は冬だろう。夏の盛りならさっさと歩けないほどの人でごった返しているし、辻音楽士もあちこちに立って演奏しているんだ」

 ゴウォンブ氏が私の思いを察したわけでもないだろうが、後ろを振り返って言った。





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