雪解け 第8回
森亜人《もり・あじん》
「バシャ!」
私は思わずそう言ったきり言葉を飲んでしまった。バシャの思いが私の乾燥しきった心の深い部分へ、恰も雪解けの水が音を立てて流れ落ちるように入ってきたからだ。
暖かい紅茶の香りが室内に漂う。今までの私だったら、こんなにやわらかな香りでもたちまち呼吸困難になった。ところが今朝はたっぷり息を吸い込んでも胸部の切迫感がない。
「それでは、ナ ズドロービエ!」
彼女は、ア ヴォートル サンテ(健康を祝して)というフランス語を使わずに、自国の言葉で言った。私も彼女の声に釣られ、ティーカップを持ち上げ
「ナ ズドロービエ」と応じた。
真冬のさなかにはこうして春を迎えられるなどと夢にも思っていなかった。
いつの間にか四十の半ばに達してしまった。しかも異郷の空の下で死なねばならないかもしれないと思うと、一抹の寂しさのようなものを感じていた。だが、日本で私を待っているとすれば、ワンルーム マンションの机の上に置きっぱなしにしてきたワープロの機械くらいなものだ。
といっても、機械には血の通いなどない。待っているはずもないだろうが、それでも私にとってのワープロは孤独を慰めてくれる唯一の友だった。
若い頃からの思いをワープロに打ち込んできた。人の目に触れたら顔から火が出るようなことも書き殴ってきた。結婚の機会がなかったわけでもない。その都度、自分が障害者だという負い目のようなものが邪魔をし、踏み込んでいけなかった。
教員仲間の先輩からそういう臆病を叱責されたりもした。だが、私の心の底には彼らが考えているような臆病など持ち合わせていなかった。大学を出たあと、四年間のフランス留学という自信めいたものがあって、生半可な女性とは結婚できない、という不遜な態度が己の内に存在していた。
しかし、三十を過ぎると、気ままな生活に安穏さを覚え、かなりの線まで煮詰まった話も断ってしまった。
そのうちに仲間たちも諦めたのか、それとも私の年齢が結婚にふさわしくないところまで到達したせいかは考えてみたこともないが、三十半ば頃からは結婚の話もぷっつり途絶えてしまった。以来、結婚話もないまま私は独身の日々を送ってきた。
昨年の秋、ジェラゾヴァボラへバシャと出かけた。目的はショパンの生家を訪ねることだったが、記憶のなかにはジェラゾヴァボラよりもカンピノスの森のほうがより鮮明に残ってしまった。そして、彼女への思慕を病の床の中でどれほど否定したことだろう。
十年前、心を打ち割って話せる親友に紹介された女性との交際が重なるように思い出される。
それも目の前にバシャという新たな女性がいるにもかかわらず、ある種の懐かしみをこめて思い出されてくるのだ。
心のどこかでそんな自分の身勝手な思いに狼狽している部分もあるにはあったが、それ以上に懐かしさが募った。この思念はバシャに対する反逆行為だろうか?
かもしれない。過去において最も深いところで付き合ったとすれば、親友が紹介してくれたその女性しかいない。共に将来を語ったこともある。共にスーパーへ買い物にも行ったこともある。それなのに私はその女と生活共同体という共通した道に進まなかった。
「何を考えてらっしゃるの?」
いきなりバシャの声に私はふっと深い息を吐いた。
――いけない!もう過去の出来事ではないか。今になってなぜ?――
「別に……」
私は狼狽える心からイメージされた過去を追い出した。想像することは勝手といえばそうかもしれない。しかし、バシャの前では許せない行為に思えた。
「すっかり元気になったらニェポカラヌフへ行きましょうよ。あなたが健康を取り戻せたお礼を言いにいきたいの」
「ニェポカラヌフ?」
私はバシャの意図がわからなかった。ニェポカラヌフに何があるというのだろうか。お礼を言いにいきたいと言っているが、そこに私の病気が治るために苦労してくれた人でも住んでいるというのだろうか。
私は記憶をまさぐってみた。高熱に意識も遠のいていたときに誰かが深く関わってくれたとしか思えない。そうだとしたら名前など知るはずもない。私はバシャに顔を向けた。
「あら!もう忘れてしまったのかしら。コルベ神父様よ。わたし、ずっとお祈りしてきたのよ。だから……」
私は胸を打たれた。そうだったのか。自分だけが取り残されたような、どこか捕らえどころのない空虚感に私は気鬱になった。
朝食の後かたづけのためにバシャはワゴンを押してキッチンへ消えた。
バシャは、重症の肺炎のために生死をさ迷っている私の枕元で、両手を組んで祈っていたという。私は、自分の不注意から今回の病になったと思っていたので、彼女の心遣いが嬉しいというより、重い荷物を背負わされた感覚に陥ってしまった。
どうして重荷と感じるのだろうか。祈り……コルベ神父……。
私はバシャの言ったコルベ神父のことを考えていた。少年期に祖母から聞かされた記憶がある。だが、それよりもっと後年になって痛みを伴った記憶も合わせて思い出した。
「ごめんなさい。わたし、キリストを選ぶと思います」
忘れたくて忘れられなかった記憶。でも十年という歳月が私の記憶からこの痛打をきれいに消し去っていてくれた。昨年の今ごろ、ゴウォンブ兄妹と共にクラクフへ旅した折りに車中でコルベ神父の話を聞かされたときは思い出さなかった記憶だった。
突然だった。頭上から数トンもあろうと思われる岩石がガラガラと崩れ落ちてきたほどの衝撃だった。意識的に隠蔽しようと努力を重ねて忘失した女の全てだった。