残照 第4回


森亜人《もり・あじん》



      第4章

 ぼくはリヨンへ向かう列車に乗っていた。

 窓外を流れる景色に見とれていた。八人掛けのコンパルティマンには乗客が七人いた。真夏のぎらつく太陽が、遮るもののない平原を照らしている。百数十キロの速度で走っていても、平原を照らし続けている太陽の輝きは車内に熱気を充満させるばかりだった。

 ぼくはずっと我慢していたが、ついに我慢の尾が切れてしまい、窓を引き下げた。すると、前に座っている親父が目をむいて窓を引き上げてしまった。

 ぼくはいまいましくなって、彼を睨みつけてやった。親父は片目をつむって見せ、髪の乱れを手で押さえているぼくの隣席の若い娘に目だけを向けた。

 ぼくは、顔に似合わず心に優しみを持った親父に親しみを覚えた。そこで日本から持参してきた残り少ないハイライトを彼の目の前に突き出してやった。親父は何も言わずに、ぼくの手から煙草を摘まみ上げ、ふん、といったような顔をして片頬を膨らませた。

―― なんて野郎だ。 ――

 ぼくは、また親父に対していまいましくなってきた。小さなコンパルティマンから飛び出していくのも馬鹿げている。かといって、親父のまずいツラを見ているのも業が湧く。そこで、ぼくは、『ガル・ド・リヨン』の駅頭で別れた伊達まり嬢のことを思い出すことにして、暑さのなかで目を閉じた。

 ガル・ド・リヨンで、昼のミストラルの乗車券を求めて並んでいると、伊達まり嬢がやってきた。きのうの夕方、サン ミッシュで別れる前に

「明日は駅まで送らせてください」

 と言っていたが、ぼくは社交辞令ぐらいにしか受け取っていなかったので、黙ってきてしまったのだ。

 きょうの彼女は、上下ともニットものだった。色はライトブルーで統一していた。

 彼女が建物のなかへ入ってきたとき、ぼくは不思議な気分になった。

 彼女は、機内で見たときの彼女とも、きのうの彼女とも異なるアトモスフェールを体全体から醸し出していた。

「どうしてもミストラルに乗らなければいけませんの?」

 伊達まり嬢は息を弾ませて入ってくるなり、乗車券を買おうと並んでいる長い列を見てそう言った。

 ぼくも自分より前に連なる人の頭の起伏を見て、

「そういうわけでも」

 と、つい言ってしまった。どうして自分がそんな応え方をしたのか、自分の心を覗き見られないことがもどかしくもあり、そっと封印したままにしておきたくもあった。すると彼女は、才気煥発に

「では、ミストラルの次に出る普通列車になさったら」

 と、駅の大時計の長針が短針を追い越していくのと、時刻表を交互に見やって言った。

 ぼくの心には、このまま彼女と別れてしまうことを惜しむ思いがあった。そのことが悪いわけではないだろうが、どこかで何かにこだわっている己も存在していた。だから、彼女に誘われても素直に人の群れから出ることができないでいた。

 そんなぼくの重い心を救ってくれるように彼女は、さりげなく

「ねぇ奥村さん。わたしね、きのうの話のつづきをしたいんですの。モンマルトルの地下鉄の入口のところで断ち切れになってしまったあの話なんです」

 と言った。

 待合室の壁に掛かっている大時計は十一時を指していた。彼女の言った列車は、今から二時間後のマルセイユ行きの普通列車だった。

 駅前の石段を降りると、小さなカフェがあった。客のいないことに魅力を感じ、ぼくたちは、躊躇なく店に入っていった。

 あれから三時間。彼女と別れて一時間になる。ぼくは、膝の上に広げた大学ノートにペンを走らせている。夕方の六時ごろにはリヨンのペラッシュ駅に着くだろう。それまでの時間を、日本から持ってきていた『ミッシェル・フーコー』の書を読むことにしていた。

 ぼくがこの書物を日本から持ってきたのも、日本での忌まわしい傷を彼の作品から読み取れたらと思ってのことだった。ぼくの場合いは、たった一度の愚行だった。作者は、意識的、且つ自己の欲求から罹るべくして罹って死んでいった。

 ところが、窓のことから前に座っている親父と気まずくなったことで、ぼくは大学ノートを開いていた。そのぼくの鼻っ先に黒い棒のようなものが伸びてきた。

「外国の旦那、あんたこいつを吸ったことあるめえ」

 親父は何を思ったか葉巻を突き出してそう言ったのだ。突然だったことと、親父が巻き舌で早口だったため、ぼくは聞き取れずに聞き返すと、親父は癖らしく、小さく舌を鳴らして

「旦那はハバナ産の葉巻を吸ったことはないでしょう」

 と、国語の教科書でも読むように、抑揚のない声で言い直した。

 ぼくが、

「もちろんだとも」

 と言うと、親父は気色満面、汚れた鞄を膝の上に置くと、なかから丸い缶をさも大切なものだといわんばかりに、そっと取り出した。

「これでがすよ、外国の旦那」

 彼はそう言って、缶の蓋を持ち上げた。なかには黒い色をした太巻きの葉巻が三十本ほど詰まっていた。

 ぼくの横に座っている若い娘が興味ありげに体を寄せてきた。

「親父さん、ぼくに一本くれるのかい」

 と言うと、

「もちろんでさぁ、外国の旦那。みんなやりてぇところだが、わしの大事なもんだで四、五本くらいならようでがすよ」

 と、やけに気前のいいことを言ってくれた。

「あんたも欲しいのかい」

 親父は缶のなかを覗き込んでいる娘にも声をかけた。すると、娘は頬を染めて身を引きながら、

「いえ別に…」

 とてれくさそうに言った。親父は

「あんたが吸うとは思っちゃいねぇよ。どうせあんたの親父か、可愛いやつにやりてぇと思ったんだろうさ」

 親父はそう言うと、缶の真んなかから三本抜き取ると

「持っていきな、ねぇちゃん」

 と言って、大口を開けて笑った。

 こうしてぼくと親父は心をほぐし合い、それからの時間は隣席の娘も加わって楽しく話をしていった。

 親父は最初のうち、『ムッシュ エトランジェ(外国の旦那)』とぼくのことを呼んだ。ぼくが、「日本人ですよ」と言うと、親父は唇の端をぐいと持ち上げて

「日本は外国でさぁ、旦那」

 と応えたのには、さすがのぼくも参ってしまった。

 ぼくは誰にやってもいいと思って、東京の煙草屋から買ってきたピースの缶入りを思い出した。棚に置いた鞄から取り出して、まだ親父の膝の上に置かれている葉巻の缶の上に無造作に置いてやった。

 親父は目を細めて、ふしくれ立った指で缶を撫でていたが

「やや! こいつぁありがてぇ。確かありゃぁ…」

 と言って、見わたすかぎりの原に目を向けていた。

 光の届くかぎり、遮るもののない平原のどこかに、親父の記憶に繋がる何かがあるかのように、親父はあちらこちらと眺め入っていたが 

「そうよ。あれは大戦が終決した前の年の秋だった」

 親父は窓外の景色からぼくに視線を戻して話の先を続けた。

「わしは、ボッシュの野郎の流れ弾に足をやられたという男と枕を並べていたんでがすよ。わしのほうはインド洋で怪我をして帰国していたんでがすがね。枕を並べていた野郎が、ストラスブールを解放したおり、ボッシュの野郎が捨てていった荷物のなかから持ってきたと言っていたもののなかに、これと同じものを持っていたんでがすよ。わしが退院するとき、野郎がこれと同じ缶のなかにあった煙草を一本くれたんでがすがねぇ…。いやぁ、ほんとにありがてぇ!」

 親父の喜びようは、ぼくが恐縮してしまうほどだった。親父は、誰にも取られまいとするように、鞄の奥へ葉巻と一緒にピースの缶を押し込んでしまった。 

 午後の陽を充分に吸い込んだ列車は、ディジョンに到着した。どことなく気だるそうなアナウンスが、ここで一時間停車すると告げていた。

「どうだね外国の旦那、一杯やらねぇかね」

 親父はそう言って、うす汚れた鞄を抱えてコンパルティマンを出ていった。

 発車までの一時間、容赦なく差し込む夏の烈日に晒されているのも芸のないことのように思え、隣席の娘に、「あなたもいかがですか」と声をかけて、親父のあとを追った。

 二人は肩を並べて駅を出た。広い辻にゴムボートを持った若い男女の群れが楽しそうに話をしながら、バスを待っていた。ボートを浮かべて遊べるような湖か川が近くにあるのであろうかと、ぼくが考えているところへ、隣席の娘が追いついてきた。

 われわれは広場を横ぎると、駅前の歩道に丸いテーブルを出してあるカフェテリアに入っていった。日本のように冷房などないが、店のなかは涼しかった。われわれと同様、列車から降りてきた人々で、店はたちまちいっぱいになった。

 親父がカウンターから運んできてくれたビールのジョッキを、テーブルのまんなかで合わせ、三人は一気にジョッキを干した。

 親父は、娘の飲みっぷりに感心したらしく

「てぇしたもんだ。さぁ、もう一杯やらかそう」

 と言って、カウンターへ立っていった。

「あんたはどこの生まれかね」

 親父は、髭についたビールの泡を手の甲で拭いながらたずねた。

「わたし、ヴィエンヌです」

 ジョッキを両手で挟んだまま娘は応える。

 彼女の発音には、それほど南仏のなまりらしいものを感じなかったが、Nの発音には特徴があった。

「おとっつぁんもおっかつぁんも元気かね」

「えぇ。父は石屋です。でも、いまは自分ひとりでは営業していけないので、組合に入り、そこで組織的に働いています。母はヴィエンヌの託児所で働いています」

「ほう…。で、あんたは学生さんかね」

「はい」

「まだヴァカンスには入っちゃおらんだろうに…」

「えぇ…。昨晩、父が怪我をしたという電話を受けたものですから…」

 娘はジョッキに添えていた手を顔に持っていった。昨夜の電話の内容でも思い出したのか、ふっと息を大きく漏らした。

「それで?」

 親父は太い眉を寄せて先を促した。

「母の話は常のことなんですけど、ちっとも要領を得ないんです。とにかく、石材が足の上に落ちて片足は使えなくなると言っていました」

「ふうむ…」

 親父は、自分の足の上に石材が落ちでもしたように、喉の奥で呻いた。

 ぼくは、この娘が、いや、娘という呼び方は適切ではない。やはり彼女と言おう。

 ぼくは彼女の心中を察し、自分も両親と妹を雪崩で一度に亡くした話をしてやった。考えてみれば、そんな話をする必要もなかったろうが、そのときは、なぜか彼女に話すことで、少しでも慰めになってもらえればと思ったのだ。

「おぉ… 何と!!」

 彼女は、それだけ言うと、両手を痛いほど振り絞り、ぼくの顔をじっと見つめていた。親父も広い額の深い皺を更に深め、大きな喉仏をぎくりと動かして、彼女が父親の話をしたときと同じように、

「ふうむ」

 と言ったきりだった。

 ジョッキのなかでビールが盛んに泡を立てている。三人の思考は別々のところにあった。

「なるほど…」

 親父は意味もなくそう言って、ジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。

「ムッシュ、あなたは気の毒ですわ。わたしが同じ立場に立たされたら、きっと絶望のために失神して、そのまま死んでしまったと思いますわ…」

 彼女は、振り絞っていた両手を胸に抱き、目に涙をいっぱい溜めてそう言った。

 ぼくは、偶然列車に乗り合わせただけの彼等に親密なものを感じた。西欧人の大袈裟と言ってしまえばそれまでだが、目の前にいるこの二人に限っては、否と言いきれそうな態度に、ぼくは熱く感動していた。

 ぼくは、家族の上に起こった不幸を彼等に話しているうちに、郷愁めいたものが鼻の奥に上ってきた。家族の者たちを失ってしまった後の数十日間の悲しみとは異なる、ものの哀れとでも言ったような郷愁だった。

 ぼくとマドモアゼルは、賑わっているカフェテリアには不似合いな顔をしていたに相違ない。親父がぼくたちの沈んでいく心を引き上げるように 

「サイエ オニバー(よし 行こう)」

 と言って立ち上がった。マドモアゼルとぼくは親父の声に現実へ引き戻された思いで腕時計に目をやり、慌てて残っているビールを一気に飲み干して立ち上がった。発車まで残り十分だった。

 鼻と頬の膨らみがやけに目立つ麦藁帽の男が、自動車の行き交う道路で水を撒いていた。勢いよく撒かれた水が、焼け込んだ道路に触れた瞬間、油玉のように踊って消えた。

「ムッシュ、こんなに大きな荷物を背負ってピレネーにでもいくんですか?」

 彼女がリュックの尻をそっと押し上げながら言った。

「洞窟ですよ。バルムのね」

 とぼくが言うと

「あら、ムッシュは原人にでもなるつもりなの」

 と言って、彼女は、ゴリラの歩くまねをしてみせた。その恰好が堂に入っていたので、さすがの渋面の親父も顔をほころばせ、葉巻を噛んでいる歯をにっと見せた。

 ディジョンは初めてだった。コート ドールの都会で、葡萄酒の産地。ぼくはブルゴーニュ産のワインを思い出した。サン ジェルマン大聖堂の近くにあるレストランで昼食を取ったおり、伊達まり嬢が勧めてくれたやつだ。

 彼女との一日を思い出せば、自然にきょうの日に繋がる。淡味のアイスクリームを銀の匙で掬い、口許まで運んでいったが、ぼくの憂い顔を見ながら

「奥村さん、パリに戻られたら必ずお電話くださいね。わたし、あなたのことがとても気になりますの」 

 ぼくは若い女の感傷だぐらいにしか思っていなかった。それよりもぼくの心に焼きついているのは、帰りの電車のなかの彼女の変化だった。モンマルトルの地下鉄の駅で会った友人とのひそひそ話から、彼女の様子に変化が起こった。

 その変化はきょうになっても彼女の心の陰からときおり顔を見せ、ぼくが心配そうに眉を寄せるのを見て、彼女は、殊更に明るく振る舞おうとした。ガル・ド・リヨンの近くのカフェで軽食を取っているときや、駅頭に立って、ぼくを見上げているときの彼女の表情に蔭りが何回となくよぎった。

 考えてみれば、ぼくは彼女のことを何も知らない。彼女にしても、ぼくのことなど何も知らない。それでも互いの過去に拘束されずに会話を深めていけそうな気がした。

 コンパルティマンは蒸し風呂のようだった。親父は日除けをおろし、マルセイユまでの旅をくつろいでいくつもりらしく、埃まみれの靴を脱いでいた。隣席のマドモアゼルは、父親の怪我の状態が気がかりらしく、しきりに時計ばかり気にしていた。

 半分ほど引きおろした日除けの下からさわやかな風が車内に流れ込み、この調子だったら、リヨンまで快適な旅を続けていけそうだった。 

 ぼくは大学ノートを開いて、朝からのことを書きとめていた。列車は葡萄畑を右に見ながら走っている。やがて遠方にヨットを浮かべた大きな川が見えてきた。

 ぼくは、ディジョンの駅前の辻に、ゴムボートを持った若者の一団のいたことを思い出した。きっと彼等は、あの川へ遊びにいったのかもしれない。 

 ぼくは日記を書いているうちに少し眠ったらしい。親父は窓に頭をつけて本当に眠っていた。隣席のマドモアゼルも昨夜は父親のことでよく眠っていなかったのであろう。ぼくに体を預けるようにして眠っていた。

 コンパルティマンの廊下側にいた中年の夫婦とその子どもたちが、頭の上の棚から荷物をおろしていた。気づくと、窓の外は畑が消え、家並みがつづく町になっていた。

 やがて列車は車輪を軋ませてマコン駅へ停車した。

 通路側にいた親子づれがそれぞれに荷物を抱いて窓の下を通っていく。プラットホームの人の群れのなかに見え隠れしている彼等の姿に重なって、上越で死んだ両親や妹の笑っていた姿が浮かんでくる。

 二年半以上もすぎた今も、しばしば胸中に去来する惨事に思わず知らず涙を流していることもある。そんな自分を戒め、叱咤してきたぼくは、親子づれの和やかな姿や、マドモアゼルの赤裸々な心の現わし方を見て、自分が少し頑固だったように思えてきた。

 憂うときには大いに憂い、喜ぶときには大いに喜ぶのが順当なのかもしれない。決して利己的な感情を発露として生じた功利主義に、ぼくのモラルが傾斜していったとは考えたくない。

 家族の全てが死ねば、残された財産は自分一人で好きなように使える。全てを地質学や考古学につぎ込むことも可能だ。ぼくはそう思うことにした。いや違う。断じて違う。

 ぼくはこの思いとどれだけ戦ってきたかしれない。だが、胸の前に指を組み合わせているマドモアゼルの真実あふれる感情や、あまり心の内を見せないが、人の悲しみを感じ取っていた親父に接し、ぼくは大いに反省させられた。

 一瞬の惨事が、無造作に家族の者を押し殺してしまった事実を目撃したぼくが、懸命に這い上がろうとして選んだ自己逃避を認めてもらいたいものだ。そうでもしなければ、当時のぼくは家族の跡を追ったであろう。

 郷里に帰ったぼくの孤独が、数語の悔やみや、ありきたりの弔辞を聞いて慰められるはずがない。憮然とした思いで、親戚や知人からの悔やみを聞いていたぼくは、憔悴した思いを立て直すこともできないまま、悄然と肩を落としていた。

 北西の風がやけに身に染みる日だった。ぼくは

「おい姿勢が悪いぞ奥村」

 という声と同時に、肩を叩かれた。振り返ると、顔を引き攣らせた田沼が立っていた。君の言葉は、モール状態を抜け出して敵陣に深く切れ込み、リターンパスを受けてトライを決めたときのような感動だった。

 多くの弔問客に混ざって友人たちの厚い悔やみもあった。だが、どの言葉もぼくの体を通り抜けていくばかりだった。そんななかで、君の言葉は悔やみにもならないのに、打ちひしがれたぼくの心を奮い立たせてくれたのだ。

 君は何の考えもなく、姿勢が悪いぞ、と言ったのだろう。ぼくは、君の意外な言葉に顔を上げた。すると、涙を懸命にこらえている君の情けない顔があった。ぼくは周囲の人のことも忘れて、思わずにやりとした。君も顔を歪めて笑おうとした。寒さもあったろうが、君の顔はあまりにも道化じみていたので、ぼくは本当に声を立てて笑ってしまった。

 遠縁の者たちが、不謹慎なぼくを咎めるように睨んでいた。ぼくの心に一つの思いが芽生えたのもそのときだった。

『自己逃避』この自己逃避によって得たものこそ、現在の悔恨の日々だった。直接悔恨に繋がるわけではないが、結果的に繋がっていったのだ。

 ぼくはバルムへいく。日本で手に入れた写真と、実際の洞窟とを照らし合わせてくる。そのあとで悔恨に繋がる話をしよう。語ることによって、自分の利己心とか、精神の歪みといったものが是正されるとはかぎらない。それでもいいから胸のなかでくすぶっている思いを全て吐き出してしまいたいんだ。

 君は、ぼくのモラルを疑うだろう。過去にぼくのような友人のいたことで後悔を覚えるかもしれない。それでもいい。ぼくは君に全てを吐き出したい。それに対し、ぼくは何ら弁解がましいことを言うまい。


 私は、ここまで読んできて、はっと胸を突かれた。というのは、私が彼を思うより、彼が私を思う心の強さを知ったからだ。奥村の家族が上越の宿で不慮の災難に見舞われ、彼のみが残されたことにも永続するほどの哀惜の感情は持たなかった。それ故、葬儀の席上において彼に言った言葉などすっかり忘れていたのだ。

 遺書となってしまった彼の便りや日記をこのまま読み続けることに、私は、躊躇してしまった。

 庭の日だまりに見た福寿草のあどけなさに、自然の営みの崇高さを知り、彼への哀惜にほろりとしたことを追悼の心とするほかないように思えた。ただただ、私は、自責の念に、しばし机の上の奥村の写真に頭を垂れていた。

 早春の空にそよとわたる微風が、周囲の峰々の白銀を解かしていくように、私の鈍重な心を、奥村の男っぽい友情が溶かしていく。冷たい墓石の下で、彼はじれったく思っているに相違あるまい。

 室内に流れ込む日のぬくもりが写真のなかの奥村の固い表情を和やかに見せていた。彼の心中をいまになって理解した私に、彼は

「田沼は相変わらず鈍いやつだなぁ」

 とでも言いたそうな風情だった。たとえ彼が生きていてそう言ったとしても、私には弁解する余地がない。それほど彼に対しての友情は浮薄なものだったのだ。

 私は、写真のなかの彼といつまでも話をしていたかった。大学時代のこと。特に、野辺山へいった折りに語ろうとして語らなかった心の鬱屈をたずねたかった。

 私は、彼の便りを取り上げる前に、一通の絵葉書を紹介したほうが賢明だと思った。なぜなら、消印のないこの絵葉書が、奥村の今後の歩んでいく道を大きく変えることを知ったからである。

 彼が私に語ろうとして躊躇していた内容に至る一つの門となった絵葉書。彼の心に澱んでいる苦渋を、一言で語ってしまうことはたやすいだろう。しかし、それは奥村の舐めた苦い味を思えば、残酷としか言えない。だから、順序を追って書いていきたいのだ。


     伊達まり様

 カンシューの村は静かです。初め、クレミウにするつもりだったが、ここカンシューまできてしまいました。洞窟まで少し離れていますが、林の持つ雰囲気がカンシューのほうが良さそうに思えたからです。

 君に、ガル・ド・リヨンまで送ってもらってから二日が経過しました。一週間ほど洞窟付近をうろつくつもりです。再会のおりには、もう一度ブルゴーニュのヴァンを飲みたいものです。本当にありがとう。

                某年七月八日  奥村隆夫





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