残照 第5回


森亜人《もり・あじん》



      第5章

 ぼくは懐中電灯の丸い光の輪の下で大学ノートを開いている。興奮が興奮を呼び、どうしても眠れないのだ。

 テントは村から少し離れた林のなかにある。ぼくを取り巻く自然は、口やペンで表現できないほど美しい。林を渡る風の音。闇のなかにふっと湧き出すような野鳥の声。そうして、何よりもぼくの心を和ませてくれるのは、月光にきらきらと光りながら流れる小川のせせらぐ音だ。

 人間はこれほど力を込めなければ呼吸ができないものなのだろうか。それに、呼吸をすると、これほど大きな音がすることも初めて知った。

 闇のなか、自分の呼吸音がまるで異質なもののようだ。ぼくは本当に命ある生き物なのだろうか? 本当に肺で呼吸する生き物としてここに存在していることが不思議でならない。テントのなかにうずくまっている自分が、さきほど見てきた洞窟の小さな部分のように思える。

 洞窟は素晴らしかった。入口付近の天井は、数メートルもあろうか。奥に進むほど空気は重くなり、水滴の落ちる音が洞内に響いていた。峻烈な水をたたえた池もあり、深く切れ込んだ裂目もあった。裂目は数センチのものから数メートルに及ぶところもあった。

 ぼくは板を渡してある裂目を覗いてみた。懐中電灯の弱い光では、自分を満足させてくれる深さまで探査することは不可能だった。握り拳ほどの石を落としてみたが、途中で音は消えてしまい、毛穴がささくれるような恐怖を覚えた。

 ある場所では今でも鍾乳石を形成していた。人類の祖先は、野獣や自然界の厳しさから身を守るために、このような洞窟を択んだであろう。長い年月を重ね、自分の手で家を築くことを覚えたときから、洞窟は自然界に戻された。

 ぼくは永々とつづく自然が漏らすため息を聞いたように思った。ぽたんと落ちる水滴が、岩盤に砕ける。岩は、飽きることを知らない水滴の落下に抵抗を繰り返し、幾星霜を重ねるうちに、凹み、うがたれ、岩の本来の姿を失ってしまうこともあるのだ。

 地質学の小冊子に掲載されていた洞窟の写真と、実物とを見くらべてみたぼくは、一つの解答に到達した。自分の引き出した結論の貧弱さにばかばかしいやら、腹立たしいやらで、しばらく洞窟の前に座り込んだまま、大自然の営みの大きさに気圧されていた。

 つまり、小冊子の写真は印刷上のミステイクなんだ。ぼくは確かめもせずに慌てて飛び出してきたというわけだ。冷静に観察さえすれば疑問など感じなかった程度の印刷ミスだった。意識の奥に、全てから解放されたいという願望が常にくすぶっていたことも逃げ出す行為に拍車をかけたのだ。

 だが、自分の軽薄な行動を笑ったすぐあとで、ぼくは自分の軽率さを喜んだ。田沼だって、この素晴らしい自然のなかに身を投げ出してみれば納得するはずだ。

 洞窟の奥に、現代人の手を加えた広間があり、周囲の壁に色彩も豊かな絵がくっきりと描かれていた。

 絵そのものは古代人が画いたものらしい。小動物が何かに追われてつんのめって走っている絵。象より大形の動物に、数人の男たちが襲っている壮観な絵だった。

 絵は天井にもあった。馬上の男の絵だった。かなり古いものらしく、ところどころ色が落ちていたが、どの絵も生き生きとしていた。それらの古画が、現代の文明が産み出した電灯に照らし出されていた。

 氷河や水の浸蝕によって形成された洞窟。人が体を横にしてやっと通り抜けられるほどの空隙。そうかと思えば、バレーボールのコートを二面も三面も取れるほどの空洞。自然というやつは、伊達まり嬢も言っていたように、われわれの想像を絶するものがある。

 彼女は、本当に洞窟内を見学しなかったのだろうか。まだ見たことのないぼくのために好意的に嘘を言ったのではないだろうか。人間の浅学な目の不確かさを恐れ、語ることを躊躇したのではないだろうか。

 ぼくはこの洞窟より巨大なやつをいくつも見たことがある。自然界の脅威にも直面したこともある。だが、今回ほど神を感じたことはなかった。きっと、伊達まり嬢とあんな話をしたからかもしれない。たとえそうであれ、ぼくの心に受けた感覚は新鮮で、力に満ちていた。

 彼女は、言っていた。

「なぜって、神は宇宙の根源である光をお造りになり、それに時をコンタクトさせたのではないかしら」

 モンマルトルの石段の途中で話したときもそう言ったし、ガル・ド・リヨンの近くにあるカフェでも同じことを言っていた。彼女は、ビッグ・バーンがどうの、一つの星雲の寿命が終わるときはどうのと言っていた。

 ぼくは彼女の話を聞いているうちに可笑しくなってしまった。なぜなら、彼女は、大自然の根源とか、意識も届かないような未来について目を輝かせて話していたからだ。

 ぼくはいつも下を向いて地面を掘り返し、泥だらけの塊を傷つけないように、へらの先で余分な土を削り取ってきた。ぼくは自分の青春を傾けてきたことが、彼女の話を聞いていると、何となく時代錯誤のように思えた。

 ぼくは、夢のような彼女の話を聞いても正面から反論しなかった。反論しなくてよかったと思っている。洞窟内でも、こうして日記を書いている夜更けでも、人が造り出した軽薄さに、ぼくは自然のなかで、当然のように虫けらになりさがっていた。

 ドイツやフランスの至る所に散在するモレーンの成分は、ギュンツ・ミンデル・リス・ウルムの大氷河期に北欧から押し出されたもので、氷が解けたあとの堆積物なんだ。それも人間の歴史から見れば、気がとおくなるような過去の遺産なんだ。 

『点滴巌も穿つ』という格言が示すように、一分間に十数滴の雫が絶え間なく数十万年もつづくことを考えてみたまえ。どんなに固い岩でも、やがて凹み、穴が空くのは当然とも必然とも言えるのではないだろうか。

 ぼくは、この気のとおくなるような時の流れの一点で、辛うじて現存していると思うと、水に溺れたときと同じ心持ちになってくる。

 人間はいっぱしの論議をふりまわしたり、人類を破局に追いやる兵器を造り出したりする。しかし、大自然の息き遣いから見れば、人類は産声を上げたばかりなんだ。ぼくは、自分も含めた人間どもが、自然界に対して、どのくらい不遜な態度を取っているかと思っただけで、心胆が寒くなってしまった。

 恐るべき人間どもの飽くことを知らない欲望の前に、自然界は沈黙などしてはいない。汚染された空気・暖冬・冷夏。一つずつ拾い上げていったら、枚挙に暇のないくらいだ。

 ぼくにとって、空前絶後の災難。忘れようとして忘れることのできない上越での惨事。あれも、人間が自然を恐れずに乱開発した結果なんだ。自然界からすれば、ほんの小さな嘆息にすぎないものかもしれないのだ。

 ぼくは思った。自然界と調和できない人間など世の害物だと。人間にとって利益が有ろうと無かろうと、自然を無視して造り出した物質は悪に違いないのだ。なぜなら、人間そのものが悪だからだ。その悪の根源である人間が産み出したもので正しいものがあり得ようか。

 やめよう。こんな愚劣な理論を並べ立てることこそ神を冒涜することになるのだ。もし、人間が冒涜者ならば、神はわれわれに自然を任せるようなことはしなかったはずだ。伊達まり嬢がここにいたら、どのように返答するか興味のあるところだが、残念ながら彼女は、パリにいる。

 朝夕六時に鳴り出すアンジェラスの鐘の音が、さわやかな空気を微妙に震わせながら、遠く離れた林の奥まで響いてきた。ぼくは、朝を待ち焦がれている野鳥のように、元気よくテントを飛び出していった。そして、冷たいせせらぎで顔を洗い、大きく伸びをした。

 村の店で買ってきたパンを齧り、湯を沸かしてコーヒーを飲む。山羊や牛、犬や鶏の声が風に乗って聞こえてくる。

 午前六時、太陽は地平線を離れ、遥か上空で燃えていた。

 日本から抱いてきた洞窟への期待は完全に消失してしまった。小冊子の写真は現像過程のミスか、それともぼくの不注意で表面に傷をつけたからか。そんなことを確かめもしないで、ぼくはフランスへのこのこやってきたということになる。

 目的が反古となってしまった今、カンシューに滞在している必要はなくなった。でも、この村は美しい。立ち去り難い思いでいっぱいだ。

 ぼくは、昨夜のうちに、数日とどまることに決めていた。洞窟には少し離れ過ぎているが、ここからならリヨンにも近いし、白亜紀やジュラ紀が編み出した大自然の岩が累々と重なり合った丘陵のあるクレミウにも近い。

 静かな林のなかで、君に約束したあの事を整理し、端的に記してみたい。どこまでリアルに語れるか極めて不明瞭だ。微細な点にいたるまで書くことは、言うまでもなく、己を卑しめることに繋がる。君に一部始終を告白する前に、雄大な自然にどっぷり浸ってくることにする。

 数万年の時は、一滴の雫でさえ固い岩盤を穿ってしまう。スケールの大きい自然のなかでは、自分の犯した過ちが、あまりにも小さかったことに気づいた。きのうまでの感覚と違い、広々とした草原のような、頭上に広がる青空のような心になれそうだ。だから、自分を常に縛りつけている屈託についても存外、スムーズに筆が進むかもしれない。


 私は、彼の日記の次のページをめくり、二行ほど読んでいったが、急に彼の存在を見失ってしまった。ページから肉迫してくる彼の気迫が忽然と消えてしまったのだ。

『家々の窓から漏れる明りが星のように見える。ペンを取り上げたのは何日ぶりか。』

 つまり、前の文章との繋がりがなくなっているのだ。林のなかのテントで書いているにしては内容が合わない。確かに彼の言っているように、忘れようとして忘れることのできない過去の苦渋が始まっている。しかし、あれほど自然に魅了された彼が、私の心に染み込んでくるような話を楽しく語ってくれないはずはないのだ。

 私は、躊躇した。このまま日記を読み進むべきか否か。彼が、私に語るといっておきながら、日を延ばしていたのならそれでもいい。だが、明らかにこの二ヶ月半のあいだに何かがあったとしか考えられないのだ。

 私は、彼が再びペンを握った九月下旬までの空白期間を埋める手段はないものかと、室内に積み上げてある彼の荷物を解いてみた。

 六個の箱のうち、彼の品は四個。あとの二個は、奥村とは無縁の品で満ちていた。明らかに女性の持つ品だった。

 絵に類する道具。絵画の巨匠らの複写。ファッション雑誌。ごく個人的な品々。そうして、数冊の日記帳と三冊のアルバム。まだアルバムに収めないで袋に入れたままの写真の束。私は、多くの品のなかから日記帳とアルバムを取り出した。

 一つのアルバムを開くと、純白のウエディングドレスに身を包んだ若い女性が、咲きにおわんばかりのほほ笑みを口許に浮かべて奥村の傍らに立っている。丸い大きな笑窪が左の頬にとけいるようにあるのも印象的だった。

 私は、アルバムを繰っていった。繰る度に、二人の幸せがほろほろこぼれてくる。

 幸福な人間を妬むつもりはさらさらないが、アルバムから立ち昇る二人の姿に、私は、息苦しいものを感じてしまった。

 私は、アルバムを横に押しやり、そうして、奥村が『伊達まり嬢』と呼んでいた人の日記帳を取り上げた。

 果たして、彼女の日記に目を通すことが許されるものかどうか甚だ心もとないところだが、奥村の空白期を埋めるにはどうしても彼女の日記に手を染めなければどうにもならないことでもあった。

 武骨な奥村の日記帳と違い、繊細で物柔らかな文字で書かれた日記は、彼の空白を埋めるに充分な内容だった。





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