芳賀氏 大里城に籠城した侍に芳賀近江(岩)がいる。添田家過去帳では芳賀近内とある。下野国芳賀郡大内荘(栃木県芳賀郡真岡市)発祥の清原姓芳賀氏族か。
橋本氏 須賀川城に籠城した武将に橋本藤右衛門(藤)がいる。また守山合戦・滑川合戦では橋本与八郎(藤)という侍が高名している。
源姓橋本氏の系図によれば、清和源氏を称していて、始め田村氏に仕え、時峯の代に二階堂氏に従い塩田村(須賀川市大字塩田)の加賀守家臣となり塩田村に居住したという。加賀守とは塩田氏のことであろうか。
家紋は四目結、沢瀉、下がり藤である。
服部氏 須賀川城に籠城した武将に服部伊豆守秀正(藤)がいる。服部氏は和田城主須田美濃守の家臣(須田七騎の一家)で、岩瀬郡和田村(須賀川市字和田)の服部山あるいは根岸館に居住したと言われている。
寛永元年(1624)の笹山家の古文書によると、横手城代須田伯耆盛久の家臣に御家老服部靱負、御納戸役服部掃部右衛門がいるが一族であろう。
天保九年(1838)に秋田久保田藩士須田美濃の家臣服部靱負秀頻が須賀川の長禄寺に宛てた書状に、先祖は天正十七年(1589)十月二十六日の須賀川城籠城戦の際、遠藤壱岐守勢に属して大黒石口に於いて討ち死にした服部左衛門尉秀武(三十八歳)で、この秀武は服部右金吾興秀の九男で、服部伊豆守秀正の弟にあたると記述している。
花川氏 須賀川城に籠城した武将に花川藤左衛門(藤)がいる。
羽石氏 長沼彦左衛門尉宗教の家臣に羽石孫(源)左衛門と羽石刑部(奥)がいる。
浜尾氏 須賀川城に籠城した武将に浜尾藤一郎(藤)、浜尾三河守とその子息浜尾内蔵助、浜尾孫十郎(藤)、浜尾筑後守とその子息浜尾内匠(藤)、浜尾志摩守とその子息内記允、弥兵衛、内匠助(藤)がいる。浜尾氏に関しては二階堂氏の一門・一族についてを参照してください。
早原氏 須賀川城に籠城した武将に早原彦右衛門(藤)がいる。
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