菊池氏 天正八年(1580)か大善寺合戦に高名した菊池甚平(藤)がいる。
木田氏 須賀川城に籠城した武将に木田新次郎(藤)、木田又右衛門(藤)がいる。当サイトでは木田に統一したが、『藤葉栄衰記』では、木田和と記載している箇所や、太田を木田と誤記している箇所もあることから、太田氏あるいは大田和氏などの可能性もあるか。大田和は「白河義親公御礼式帳」に出てくる苗字である。木田和の苗字は見たことがないので可能性は低いか。また白河郡には大和田、石川郡には太田輪の地名があるので、これらの可能性も考えられるか。
木之崎氏 二階堂氏の一門・一族の木ノ崎氏を参照してください。
木村氏 臥竜城主須田紀伊守の家老に木村内記がいる。
桐生氏 為氏の岩瀬郡下向に従った侍に桐生玄蕃(白)(藤)が、須賀川城に籠城した武将に桐生玄蕃友国、桐生若狭守(藤)がいる。桐生玄蕃友国の嫡男六郎左衛門友安は白石城主片倉氏の家臣となり、一時成田氏を称したが宝暦年間(1751〜1764)に桐生氏に復した。その後、家は断絶したようである。家紋は三国一、幸菱、蛇の目とある。また寛永元年(1624)の笹山家の古文書によれば横手城代須田伯耆盛久の家臣として桐生助兵衛と桐生嘉兵衛の名前があるが一族であろう。
熊沢氏 為氏に従った侍に熊沢大学介(白)(藤)が,須賀川城に籠城した武将に熊沢四郎右衛門と熊沢助左衛門(藤)がいる。
熊田氏 塩田氏系図によれば、細桙城主塩田右近大夫政繁の家臣に熊田大学がいる。
車田氏 須賀川城に籠城した武将に車田平右衛門(藤)がいる。江戸時代岩瀬郡稲村(須賀川市大字稲)で庄屋を勤める車田氏はその子孫か。
桑名氏 矢田野氏の家臣で大里城代を勤めた桑名因幡がいる。天正十八年(1590)桑名因幡は矢田野義正とともに大里城に籠城している。
江戸期に須賀川の町年寄を勤めた桑名氏は、桑名内記を先祖としていて大里城開城後須賀川に移住したという。また「白河風土記」によれば、桑名氏は文安年間(1444〜1449)桑名兵部が二階堂為氏に従って来て岩瀬郡大里村の館に居住したという。大里村の内に桑名畠という地があり桑名氏に関連する地名かとのこと。
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