神炊館神社(出典:芭蕉庵ドットコム
神 社 名 住      所 祭      神
神炊館神社 須賀川市諏訪町45−1 建弥依米命
建許呂命
建美名方命
八坂止売命
誉田別命
事代主命
「神炊館」とは石背国造となった建弥依米命が祠を釈迦堂川の北の小高い丘に建って自ら祭主となり新穀を炊いてこれを神前に捧げたことに由来するという。普通「ジンスイカン」と音読するが、「オタキヤ」とも俗読され、古くは「ミカシキヤ」とも読まれていたという。文安二年(1445)二階堂為氏が信濃国より諏訪の神を武神として勧請し神炊館神社内に合祀したので現在は「諏訪神社」とも呼ばれている。為氏は大祝部に大場因幡守氏頼を任じ牛袋村(現在の須賀川市新町・牛袋町など)を社領とした。須賀川城落城後、須田美濃守盛秀の二男秀世が戦乱をさけてこの地にあったが、須田家が代々二階堂氏に忠節を尽くした遺徳から衆望により神官となり、慶長三年(1598)上杉景勝により牛袋村からこの地に遷宮された後も須田家が代々神官職を継承し現在に至っている。
神炊館神社 須賀川市大字新町 建弥依米命
建許呂命
慶長三年までこの地にあった古い社である。須賀川に遷宮された社は新宮と、以前からこの地あった社は本宮と呼ばれた。
白方神社 須賀川市大字今泉字町内 天照大御神
建弥依米命
天津彦根命
石背国造の建弥依米命が今の磐座山に祠を建て河内国の牧岡大神宮の第四殿を勧請したのに端を発するという。現在でも石背国造の子孫である吉田家が社家をつとめ「石背国造系図」を伝えている。文安二年(1445)三月、二階堂為氏が同神社に二階堂治部大輔追討の祈願をしていて、その祈願文が今に伝わっている。
姫宮神社 須賀川市大字和田字池合21 大宮売命 暮谷沢で自害した二階堂為氏の室三千代姫の霊を祀るため造営されたと伝わる。
二階堂神社 須賀川市字宮先町78 二階堂為氏公 須賀川城本丸跡に建ち須賀川城主二階堂氏を祀る。
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