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          「産科・婦人科医師として約半世紀」    
                  元群馬大学医学部附属病院産科婦人科教授・伊吹令人 

               

 私が医学部を卒業し、東京でインターン中も何科を専攻するか決めていませんでした。父が生きていたら眼科を選ばざるをえなかったかもしれませんが、仲の良かった友人と、医学部時代にお世話になった3人の恩師のお陰で産科・婦人科を専門に選び、今日まで勉強させて頂くことになりました。母は何となく不満そうでしたが、特に反対はしませんでした。 
私は新しい生命の誕生に協力することに無上の喜びを感じました。

 産科診療は、異常の萌芽を読み取ること、予防医学の側面を持つことが他科と最も異なるところだといえるでしょう。
分娩は常に正常と異常が背中合わせで、正常な経過を辿ってきても、いつ異常になるかは予測できないことが多いのです。巷間、自然分娩ということがよく言われますが、有名な愛育病院での調査で、妊娠初期から分娩終了まで何事もなかったというケースは65%であり、残りの35%は何らかのリスク、トラブルがあった(元院長・堀口先生)という事実は注目に値します。
私の生まれた年に日本は、人口6900万人出生数210万人合計特殊出生率4.44、新生児死亡率44.7(出生千対)でしたが、平成17年には人口1億2600万人出生数106万人合計特殊出生率1.26、新生児死亡率1.4(出生千対)になりました。このうち新生児死亡率の著名な改善は施設分娩の増加と連動しています。
 合計特殊出生率が2.00を切ったのは昭和50年のことで、以来低下の一途を辿ってきました。昭和41年が“ヒノエウマ”だったことを憶えている方もいらっしゃると思いますが、この年の合計特殊出生率1.58でした。平成元年秋の新聞に1.57ショックという見出しがおどったことを憶えておられるでしょうか。これは60年に1度ある日本の特殊事情(ヒノエウマ)で極端に低い出生率だったと考えていたのにこれをついに下回ったということが大ショックだったわけです。

     
 



   * 第1次ベビーブーム(昭和22〜24年)
      人口270万人・特殊出生率4.32(昭和22年)
   * ひのえうま(昭和41年)
      人口136万人・特殊出生率1.58 
   * 第2次ベビーブーム(昭和46〜49)
      人口209万人・特殊出生率2.14(昭和48年)
   * 現在(平成17年)           
      人口106万人・特殊出生率1.26     


   

この合計特殊出生率が低値だったのはイタリアとドイツ,日本でしたがこの1・2位の2国をもついに抜き去って、世界最低になってしまいました。
 
増え続けていた日本の人口が減少に転じることはずっと以前より指摘されていたことです。何とか横ばいになるとこまで回復してもらいたいものですし、その方策を幅広く考慮しなければならないことも明らかです。
年々減少してきた分娩数と連動するように、産科医師の数が減少しているのも問題でしょう。
私たちが卒業した頃は、年間約3000人の医師が誕生しており、その約10%、300人が産科婦人科になっていました。
現在は卒業生8000人以上、産婦人科医師300人以下。始まった研修医制度(2年間)によりさらに激減している状態です。
医師の高齢化、激務のため、産科はやめて婦人科のみと言う状態が減少に拍車をかけています。
助産師数も昭和60年代以降全く増加していません。なんとかしてこのような状態から脱却する方策をも考えなければなりません。

 新しい生命の誕生の時、 非常に感動したことがありました。               
もう何年前になるでしょうか
大学病院でイギリス人の宣教師の奥様が分娩されたことがありました。
3回目の分娩でしたが、御主人から一緒に分娩室に入ってもよいかと言われました。夫立会い分娩が一般的で無かった頃の話です。丁度他の産婦さんはおりませんでしたので、どうぞと申しました。彼は分娩直前に『いきみ』の時ウーンと声をかけて協力してくれました。オギャアと元気に誕生。
奥様に御元気なお子様ですねと声を掛けますと、有り難う、感謝です。と言われました。
『日本の人は、五体満足ですかとか、指は揃っていますかとか尋ねられることが多いのですが』と聞きますと
『神様が与えて下さった子供ですから、例えどんなことがあろうと感謝して大切に育てますので』という答えでした。
 
 私は父親とは死別、母親とも10年だけ一緒に暮らしただけですから、どのようなところが似ているかあまり判然としません。
判ることは、糖尿病、緑内障など嬉しくない遺伝子をもらったらしいことです。
 学生時代のことで、小児科の松村教授から、
『子供は一人だけにして理想的に育てようなどと考えるのはよしたほうがいい。兄弟姉妹が何人かいて、
一緒に遊んだり、けんかして叱られたりしながら、ワイワイ大きくなるほうが、
子供同士の付き合い方や社会性が育まれて良いのです』と教えられました。                                                       
 
 子供を育てる時猫可愛がりせず、小さい時から躾をきちんとすること、          
社会や他人に迷惑をかけないこと、
自制力を持たせ権利には義務を伴うと教えるのも大切でしょう。
私自身今頃になって反省しても遅いと思いながら、もう一度やり直せたらと思うことが少なくないのですから。
 
 女性の体は本来妊娠し易いように作られています。しかし、非常に精密に出来ていますのでどこかに故障があると、妊娠出来ないことがあります。
私はごく最初の頃から不妊症研究にも興味を持っていました。
特に出産数の減少が顕著になってからは、子供が欲しいのに出来ない人を治療して子供を生み育ててもらうのが一番良いと考えてこれにも力を入れてきました。
不妊の人に対しては心のケアも必要です。
まず基礎体温の測定から始めましょう。目が覚めたとき、床の中で横になったまま婦人体温計で計ることが必要です。時間は6時から7時半位が良いとされています。これは排卵の有無を知り、いろいろな検査の予定を立て、いつごろが妊娠し易いかを知るためにも重要です。事情があって医師を変更しなければならない時にも役立つ、簡単な日記と考えてください。
次に何故妊娠しないのかという原因を調べますが、現在の医学では判らないことも多々あります。原因が判れば、それに対する治療を行うのが一番早道です。
一般的な検査や治療では妊娠することが難しい人では体外受精・胚移植を行う方法もあり、以前に比べれば妊娠するチャンスは増えています。

 不妊はカップルの問題です。どうするかはよく話し合って、出来れば二人揃って、医師に相談されることをお勧めしたいと思います。
生まれてくる子供の意向を確かめることは出来ないのです。
                                                      
二人で責任を分け合って、子供の未来を考えて頂きたいと思います。
群馬にも健康づくり財団のなかに、不妊相談センターが設けられています。このような所で一度相談されることをお勧めいたします。

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