ファミリーハウスが出来るまで

America

     1970年初め
    幕開け
フィラデルフィア小児病院医師オードリー・E・エヴァンスと
フィラデルフィアイーグルス(フットボールチーム)マネージャー、
ジム・マリーとの出会い
(イーグルスの選手の娘キムが白血病でセントクリストファー病院に入院
→チームメンバー1万$集め病院へ寄附
→より寄附を必要としているフィラデルフィア小児病院のエヴァンス女医を
 紹介される→エヴァンスとジムとの出会い→さらなる寄附集めへ)
     誕生のきっかけ イーグルスの人気を利用したメディア作成→12万5千$の寄附集め
→エヴァンス・家族の為の宿泊施設の必要性を訴える

(病気の子を持つ親の離婚率75%)
→ジム・小児病院1階のマクドナルド店に働きかけ3万5千$集める
(イーグルスのチームカラー緑色とマクドナルドの季節ドリンク、
チャムロックシェイクの緑色のタイアップコマーシャルで1週間分の
売り上げの寄附を約束。施設の名前はドナルド・マクドナルド・ハウス
とすること)

1974年
    
ハウスの始まり

古い建物改築で7室のハウス(フィラデルフィア郊外に)
 1977年 シカゴに第2棟〜全米へ広がる

1981年
     発展

フィラデルフィアのペンシルベニア大学の近くにあった建物を大改築して
19室のハウス 

(1泊15$、5日目から1泊10$)利用者:自室の清掃のみ義務
1 9 9 5 年


マクドナルドハウスの増築43室
    ↓
世界中へ
17カ国210以上のハウス

  Japan

      1989年 「がんの子供を守る会」創立20周年記念エヴァンス医師の講演
      1990年 国立がんセンター小児病棟“母の会”とボランティア、
キャサリン・ライリーの提唱
『アメリカのマクドナルドハウスのような施設を日本にも』
     1991年 「愛の家」運営委員会誕生
    1992年 「愛の家」に個人からの提供で「パピーの家」
「カンガルーの家」などボランティア中心の施設が出来る
:他の団体でも「ハウスサポートの会」「ぶどうの家」
「アリスの家」「あかつきの家」等が続々と誕生する。
   1997年 第1回ファミリーハウス全国ネットワーク会議
「愛の家」を「ファミリーハウス」に改名
  1998年 厚生省全国32ヶ所施設用補助金決定
 2000年 群馬県立小児医療センター敷地内に慢性疾患児家族宿泊施設完成
2001年 ドナルド・マクドナルド・ハウス(東京世田谷)日本第1号


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