3.若き国家元首 |
1799年12月に、新しい憲法がつくられた。「共和暦八年の憲法」である。 政府の首脳は3人の統領。ゆえに、統領政と呼ばれる。 統領は3人だが、第一統領に権限が集中していて、第二統領、第三統領は現代アメリカの副大統領のような感じ。 第一統領になったのは、大方の予想どおり、ボナパルトである。30歳で国家元首になったのだ。 早すぎるだろうか? 現代の基準でいえば、たしかに早い。 しかし、オクタヴィアヌスは36歳でローマ皇帝に就任した。 大昔のことだというのであれば、ボナパルトの同時代のイギリスの政治家ピット(いわゆる小ピットのほう)は、24歳で首相になっている。 国家も含めて、いかなる組織のリーダーにとっても、経験はだいじな要素であろうが、知力と気力、それに決断力も重要である。 若さの長所は体力である。体力がなければ、気力も決断力も衰える。 大臣や参事院の評議官のなかには、注意力が散漫になったり、あくびしたりする者もでてくる。30歳の第一統領に比較すれば、かれらのほぼ全員が年長者なのだ。 居眠りをする者がいると、ボナパルトは憤慨した。すばやくその背後にまわり、「さあ、目をさますのだ!」といいながら、背中をこづく。 そのようなとき、よく口にしたのは「国からもらっている給料分の仕事はしてもらいたい!」という言葉だった。 第二統領であったカンバセレスは、後年になってから、「朝の早いのがつらかった」と述懐している。カンバセレスはすぐれた法律家であると同時に、人生を享楽するエピキュリアンだった。壮麗なパーティや豪華な晩餐会を愛した。 ボナパルトはそのどちらにもまったく関心がない。 |