Part 2 百日天下
第2章 脱出
5.キャンベル大佐の不在
1815年2月16日、イギリスの監視委員キャンベル大佐が休暇でフィレンツェにでかけた。
表向きの理由は難聴の治療であったが、じつのところリボルノにいる愛人に会いに行ったのだ。
どうやらこの軍人は愛するイタリア女性とデートするために、毎月のように島を空けていたらしい。
キャンベル大佐がいなくなったのはもっけの幸いとばかり、ナポレオンはアンコンスタン号の艤装を命じた。
黄と灰色であった船体を、イギリス商船のように、黒と白に塗りかえさせたのだ。
連合国側が認めているエルバ島の守備隊には、ごく小規模の「海軍」もふくまれていて、この海軍は数隻の帆船を所有している。
それらの帆船のなかでもっとも大きいのが、ブリック型船のアンコンスタン号である。
他の帆船はいずれも小型で、多数の兵士を運ぶことはできない。
ナポレオンは港に停泊している大型船を2隻、急いでチャーターさせた。
武器、弾薬箱、馬匹、補給品などが、それらの船に夜のあいだに運びこまれた。
2月24日、フリゲート艦パートリッジ号が8日ぶりに戻ってきたが、キャンベル大佐の姿はなく、代わりにイギリス人観光客が数名乗っているだけ。
ニール・キャンベルは、休暇を延長したようである。
翌晩、ナポレオンはレティツィアとポーリーヌに、島を離れることを打ち明けた。
2月26日は日曜である。
朝のミサにでたあと、ナポレオンはいつものように島の名士たちを応接し、そのときに「今夜、島をでて帰国する」と宣言した。
午後の大部分は、書類や私信の焼却に費やされた。
5時。集合太鼓が鳴らされ、将兵の乗艦が開始される。
700名ほどの兵士たちが全員がのりこむのに、7時ごろまでかかった。
ナポレオンはころあいを見計らい、ベルトラン将軍やドルオ将軍などを従えて馬車で港に向かう。
埠頭に集まったエルバ島民が、それに気づいて「皇帝万歳!」と叫んだ。
一発の砲声を合図に、小艦隊は出帆する。
(続く)