Part 2 百日天下
第2章 脱出
3.活動的な半病人
美しく陽気なポーリーヌが加わったことで、ナポレオンの周囲の雰囲気が明るくなった。
ムリーニ邸の裏手にあった古い聖堂が取り壊されて、その跡に劇場が建てられると知ると、ポーリーヌは上演プログラムの準備をはじめる。
田舎の別荘としてサン・マリティーノに建設中の家を見たがり、兄といっしょに馬車ででかける。
兄がときおり憂鬱な顔をしているのに気づくと、さまざまな気晴らしの計画をたてる。
島の魅力的な女性たち、たとえば近衛士官の夫人たちや通訳の妻などを選んで、小さな宮廷(むしろ後宮というべきか?)をつくったりもする。
しばしば舞踏会が催されるようになった。
そうしたときには島の住民たちも招かれ、シャンパンやワインがふるまわれ、真夜中になると軽食が出た。
ダンスの好きなポーリーヌは、カンブロンヌ将軍などの上級士官を相手に、長時間踊りつづけた。
ドルオ将軍は、初めにいちど相手をするだけで、その後はいくら誘われても鄭重に辞退した。
早く自室に戻って聖書でも読むほうがいいのだ。
このように活動的な生活をしながら、ポーリーヌはときおり貧血や腸の不調などを訴えた。
夫ルクレール将軍についてサン・ドマング島に行ったとき、風土病にかかって健康を損ねていたのだという。
息子デルミィド(6歳のときに死んだ)を出産したときの合併症が尾をひいていた、ともいわれる。
ポーリーヌはわずかの移動をするのにも、人に抱いて運んでもらうのを好んだ。
突飛、とみなされていたこの振る舞いも、あるいは持続的な体調不良からくるものだったのかもしれない。
1815年元旦の祝賀会で、鉄鉱石採掘所の支配人ポンス・ド・レローが声をかけた。
「すばらしくお元気そうですね」
ポーリーヌは本気で怒った。
病気で悩んでいるのを無視されたと感じたのである。
ナポレオンはといえば「良い空気を吸えばよくなる」というだけで、とりあろうとしなかった。
(続く)