Part 2 百日天下
第6章 新たな統治システム
8.帝国憲法附加法
コンスタンの仕事は速く、数日後には草案が提出された。
こういう時には長年の蓄積がものをいう。
ナポレオンは法律が「読める」人間であり、この草案の問題点をいくつか指摘して再考をうながした。
ふたりのあいだで議論が交わされ、修正・加筆されたものがすぐにまた届けられる。
この憲法のための準備委員会は設置されていたのだが、事実上、皇帝とコンスタンによってことは進められた。
コンスタンの案では、議会は貴族院と代議院の二院からなる。
二院制であるのは前年の「憲章」と同じだが、ルイ18世の憲章では制限選挙であったのが、ここでは普通選挙に近いものになっている。
また憲章では選挙権をもつためには300フランの納税が、被挙権をもつには1000フランの納税が必要だった。
1000フランも税金を納める人間は、当時のフランスでは1万数千人。
人口の1パーセントにも満たない。
コンスタンの憲法案では、代議院の議員は県と郡の「選挙団」によって、納税額に関係なく選ばれる。 もっとも「選挙団」は高額納税者によって構成されるから、ある種のフィルターとして作用する。
貴族院議員は皇帝によって選ばれ、世襲が認められている。
検閲は廃止され、信仰の自由も認められた。
全体としてルイ18世の憲章に良く似ており、その改良版といえるだろう。
ナポレオンはこの新憲法を「帝国憲法附加法」と呼ぶことを望んだ。
みずからの統治体制は続いており、昨年までの帝政とのあいだに断絶はないと国民に見られたがった。
コンスタンはその名称に反対した。
が、ナポレオンはあくまで固執する。
帝政期の諸法令に新しい要素が附加されただけのものという位置づけにしたかったのだ。
が、それは判断ミスであることが後にわかる。
(続く)