Part 2 百日天下
第6章 新たな統治システム
9.不評をかう
帝国憲法附加法は1815年4月22日に公布された。
この憲法の生みの親がバンジャマン・コンスタンであるのを知っている世間は、「バンジャミンヌ」と呼んであてこすった。
バンジャマンは男の名前で、それに対応する女の名前がバンジャミンヌである。「末っ子」の意味もある。
「上の子」はルイ18世の憲章であろう。
帝国憲法附加法の評判はかんばしくなかった。
批判的な文書や新聞記事が、雨後のたけのこのように出る。
王党派は「これは憲章の剽窃だ!」と叫んだ。
予想された反応である。
ボナパルチスト(皇帝支持者)は「国家の危機に際して、この憲法は皇帝に十分な権限をあたえていない」と危惧した。
最大の恩恵を享受するするはずの自由主義者ですら、さほど満足していなかった。
貴族院議員の身分が世襲であるのは、貴族制度が続くということではないか。
両院を解散したり個人の財産を没収する権限が皇帝にあたえられているのも、問題である。
庶民は「帝国憲法附加法」という名前そのものに失望した。
帝政がこれまで通りになにも変わらずに続く、と受けとめたのだ。
ナポレオンはコンスタンに向かってぼやく。
「憲法はどうも評判がよくないようだ」
起草者は答えた。「眉唾もの、と思われているのです。書いてあることを実行すれば、信用されるようになります」
新憲法への信任投票がおこなわれた。
有権者500万人のうち、賛成が約130万人、反対が約5千人。残りは棄権である。
棄権票が多いのはいつものことだが、今回は賛成票がきわめて少ない。
第一統領になったときや、皇帝になったときの信任投票では、賛成票がもっともっと多かった。
国民投票の結果で見るかぎり、ナポレオンの人気はどうやらジリ貧傾向だった。
(次章に続く)