Part 1 第一統領ボナパルト
第3章 コンコルダ
15. 反撥する者たち
コンコルダの公布式典は、説教とミサからなっていた。
説教をおこなったのはトゥールの大司教ボワジュランであり、ミサで「テ・デウム」の音頭をとったのは、教皇特派使節カプラーラ枢機卿である。
式典は3時間ほども続いた。
その夜、チュイルリー宮殿は照明できらめき、花火があげられ、音楽が奏でられた。
先刻の式典でミサを主宰したカプラーラも姿をみせている。緑色の眼鏡をかけ、疲れたような顔をしたこの枢機卿は、低い声で第一統領と談笑している。
ボナパルトは、教会ぎらいで知られるデルマ将軍をみつけると、歩み寄って愛想よく声をかけ、式典についての感想を求めた。
気性のはげしいこの軍人は、相手が第一統領であってもまったく遠慮しない。
「けっこうなお説教でした。ただ、あんなことをなくすために戦死した十万の兵士が参列していれば、もっとよかったでしょう」
痛烈な皮肉である。
ボナパルトと軍部は、一枚岩ではない。とくに上級将官との関係がギクシャクしていた。
たとえば、例のモロー将軍。
かれは妻をノートルダム大聖堂に行かせたものの、自らは式典への招待に応じなかった。
しかも、それを誇示するかのように、式典の時間に、わざとチュイルリー庭園を歩き回っている。
なお、チュイルリー庭園はフランスに初めてできた散歩用の庭園。
コンコルダに反対なのは、すでに述べたように、軍部だけでない。進歩的な聖職者や、逆に教皇至上主義者は、フランス各地で反対運動を展開していた。
議会の自由主義者たちの多くも不満をつのらせていた。
自分のサロンで反感を表明し続けてきたスタール夫人は、公布式典についてこう書いている。
「いやらしい光景を見ないように家にとじこもっていたのだが、フランス国民の屈従をつげる祝砲の音は聞こえてきた」
しかし多くの庶民は、すなわち「サイレント・マジョリティー」と呼ばれる人びとは、自分たちが「屈従」したとは思っていない。
むしろ、これで革命は終わったと感じて、満足していたのである。(続く)