物語
ナポレオン
の時代
年があけて1803年2月。
ボナパルトはイギリス大使ウィズワースをチュイルリー宮殿に呼びつけた。
イギリスがアミアン条約で約束したことを履行しないのを非難するためである。
条約が締結されてもう1年もたつというのになにをグズグズしているのだ?
それだけではない。
ホークスベリー外相がいろいろと身勝手な発言をしているらしい。
「フランスはピモンテの併合をやめよ」
「オランダから完全に撤退せよ」
「こうした要求がいれられなければ、わが国はマルタ島から撤収しない」
ロンドンにいるフランス大使に、そんなことをいったと聞いている。
ボナパルトの声はしだいに激しくなっていく。
フランスには48万の兵力があり、これ以上イギリスにバカにされるのを我慢する気はない。
イギリスがマルタから出ていかないのは、これからも地中海を支配したいからだろう。
そんな了見でわが国との平和が守れると思うのか。
言葉はつぎからつぎと吐き出され、ウィズワース大使が返事をしようにも口をはさむことができないほどである。
近くの部屋にはジョゼフィーヌやオルタンス、それに何人かの貴婦人たちもいたが、かの女たちの耳にまで第一統領の声は聞こえてくる。
イギリス大使は長身で、一分の隙もない服装に身を固めた外交官である。
慇懃ではあるが冷淡なこの大使に鋭い視線を向けながら、ボナパルトは言い放った。
「どうしてもそちらが望むのなら戦争になる。そのときには、ヨーロッパ全体がまきこまれるだろう」 ウィズワース卿はチュイルリー宮を退出したあと、この会見の詳細をただちにロンドンに報告し、つぎのコメントでしめくくった。
「ヨーロッパ最強国のひとつの元首の言葉というより、竜騎兵隊長の言葉のようでした」
イギリス貴族らしい皮肉を書いて鬱憤をはらしたのである。
ナポレオンの声
上記のシーンでは、ボナパルトがイギリス大使を怒鳴りつけます。
そこで気になるのがかれの声です。
朗々と響く声だったのか?
くぐもった声だったのか?
それとも、かすれ声だったのか?
このことは以前から気になっていたのですが、歴史家はこういうことをなにも教えてくれません。
ところが先日、この小さな疑問にたいする答えが見つかりました。
アレクサンドル・デュマが「甲高い(strident)声」と書いていたのです。
そうだったのか! さすがに文学者だ! と感心しましたが、よく考えてみると『三銃士』の作者はナポレオンに一度も会ってないはずです。
伝聞でこの情報を得たのでしょうか?
もっと年上の文学者で、ナポレオンと直接に言葉を交わしたことのあるシャトーブリアンやスタール夫人の著書に大急ぎで当たってみても、断言はできませんがそうした記述はないようです。
もしナポレオンの声が特徴的なものであれば、このふたりのアンチ・ナポレオンがなにか書いている可能姓はかなり高いと思います。
書いていないということは‥‥ごく平凡な声だったのでは?
どうやらアレクサンドル・デュマのいう「甲高い声」は信憑性に乏しいようです。
(続く)