Part 1 第一統領ボナパルト
第4章 フランス vs. イギリス
3.アミアンの和約
国家財政が火の車になれば税金を上げざるをえない。
イギリス国民は不平をいい、ウェストミンスターの議員たちは、それを声高に代弁した。
「フランスと戦うために、なぜこんなに税金を払うのか! どうしてこれほど大きな犠牲を払わなければならぬのか!」
追い討ちをかけるように、1799年と1800年は天候不順で農業が不作だった。
加えて、積年のアイルランド問題がある。
アイルランドの自治あるいは独立を求める運動は、とみに激化していた。
ほとほと手を焼いた政府は、議会にアイルランド議員を迎える方針をうちだした。
ところが、この政府案を国王ジョージ3世が拒否する。
四面楚歌のピットは、責任をとるかたちで1801年2月に辞任した。
仏墺間で「リュネヴィルの和約」が調印される前日のことだった。
後継者のアディントンは、就任早々、フランスと和平交渉をはじめたいといい出す。
フランス政府はこれを歓迎した。
両国の交渉はトントン拍子で進み、10月1日に「平和予備協定」がロンドンで締結される。
批准書を携えたフランス代表ローリストン将軍(ボナパルトの元副官)が到着したとき、大勢のロンドン市民がローリストンの馬車から馬をはずし、車軸に手をかけ、御者に握手を求めた。
群集は「フランス万歳!」「ボナパルト万歳!」と叫びながら、馬車を外務省まで押して行った。女たちは窓からハンカチをふっていた。
イギリス国民がどんなに戦争にうんざりしていたかがよく分かる。
この英仏間の平和予備協定は、翌・1802年3月に、北フランスのアミアンの市役所で、正式の条約として調印された。
反目し合っていた二大国が、こうして和解したのである。
(続く)