Part 1 第一統領ボナパルト
第4章 フランス vs. イギリス
4.第一統領の業績
アミアン条約は1802年3月に調印され、コンコルダはその一ヵ月後に公布された。
外交と内政のすばらしい成果である。
アミアンの和約のおかげで、1792年4月から数えてほぼ10年ぶりに平和がもどった。
フランスだけでなく、ヨーロッパ全体に安堵感がひろまった。
コンコルダの締結は、反対派の憤慨にもかかわらず、フランス社会に落ち着きをもたらした。
ボナパルトが第一統領に就任したのは、わずか2年半まえ。
それ以来、国内は大きく変貌している。
ヴァンデの乱などの反政府運動は、おおむね鎮圧された。
ピンチだった国家財政はかなり持ち直している。
行政改革が進んで、政府の権威は増大した。
多数のエミグレたちも帰国しつつある。
フランス国民は、革命から13年たって、ようやくゆったりした気分で生活をエンジョイできるようになった。
この機運にのって、貿易業者は北アメリカ、西インド諸島、アフリカ大陸などとの交易を再開しつつある。
こうしたことすべては、衆目の一致するところ、第一統領のリーダーシップによるものだ
いまこそ「国民の感謝の気持ち」を表明すべきではないのか。
そうした意見が議員たちから出てきた。
しかし、具体的にはどうすればよいのか。
イニシアチブをとったのは、フーシェだった。「第一統領の望んでおられるのは、任期の延長だ。あと10年延長してさしあげれば、われわれの感謝の気持ちはりっぱに伝わります」と、議員たちの耳に吹き込んでまわった。
「第一統領はいま任期の3年目に入ったところで、あと7年残ってます。それに10年プラスすれば、合わせて17年になる。つまり1819年まで任期が続くことになる。これほど長く統治した君主はざらにはいません」
フーシェは低い声でそうつけくわえるのだった。
この囁き作戦が功を奏したのか、1802年5月に、護民院で「第一統領の任期を10年延ばそう」という動議が出される。
(続く)