Part 1 第一統領ボナパルト
第3章 コンコルダ
6. 反ボナパルト勢力
スタール夫人はコンコルダに強く反対した。
第一に、自分がプロテスタントなのでカトリック教がフランスに再興されるのを望まない。
第二に、第一統領が教皇庁との関係修復をめざすのは、聖職者たちと王党派の意を迎えたいからだ、と見抜いているからである。
「明日は4万人の司祭が、あの男の味方になってしまうのよ!」
グルネル街103番地の自宅サロンで、夫人は出席者たちにそう叫んでいた。
ボナパルトを「あの男」と憎々しげに呼ぶのは、わけがある。
バンジャマン・コンスタンがすこしまえに議会で演説し、その内容が第一統領の不興をかった。
かの女は親しいコンスタンの議会デビューを祝って、自宅で晩餐会をひらくつもりでいた。
ところが、招待客のほとんど全員がボナパルトに遠慮して、直前になって出られないといってきた。 晩餐会はながれ、スタール夫人は面目を失う。
その後しばらくして、かの女はチュイルリー宮殿で催されたパーティに出席した。この件で第一統領と話をしたかったのだ。
ところが、完全に無視された。
出版されたばかりの自分の本『文学論』を贈呈したのに、これにも礼状一本よこさない。
憤懣やるかたない夫人は、マレンゴの戦いのまえには、サロンでこう口走ったほど。
「いっそ、オーストリア軍に負ければいいのよ!」
常連客ですら、この言葉には当惑し、たがいに顔を見合わせるばかりだった。
この時期になると、議会や軍部に第一統領に批判的なグループができていて、目立たぬかたちで集まっては、現政府への不満を表明し合っていた。
軍部では、ベルナドットやモローなどが反ボナパルト派の代表格。
モローはいう。
「自由を脅かす危険があるようだ。ボナパルトに気をつけなければいけない」
スタール夫人はその種の会合にときおり顔を出していた。
しかし、ベルナドットやモローなどの批判勢力が、ひとつに結集して政治的パワーになることはなかった。
ひとつに束ねる心棒、すなわちリーダーが欠如していたのだ。
(続く)