物語
ナポレオン
の時代
4.モロー将軍の逮捕
ボナパルトはその日のうちにパリに戻った。マルメゾンでくつろいでいる場合でない。
翌日、枢要な者たちで会議をひらく手はずを整えた。
会議に招集したのは第二統領カンバセレス、第三統領ルブラン、外務大臣タレーラン、元老院議員フーシェなどである。
初めの二人は役職上声をかけただけであり、残りの二人とくにフーシェは意見を聞きたくて呼んだのだ。
議題はひとつ。「モロー将軍を逮捕すべきか」。
レアルがつかんだ証拠だけで逮捕できるものか。その場合、パリジャンはどう反応するか。
もはや警察大臣でないフーシェの出席を求めたのは、こうした問題の処理能力が他に抜きん出ているからである。
当人は「それ見たことか、いい気味だ」と思ったに相違ない。
会議は長引いたが、出た結論は「逮捕すべし」である。
2月15日、モローはグロボワの路上で拘束された。
将軍の邸宅はこの町にあり、以前はバラスがそこに住んでいた。
モローはそのままタンプルの牢獄に連行され、収監される。
訊問された将軍は「わたしはカドゥーダルやピシュグリュとはなんのかかわりもない。もちろん、最近会ったこともない」と答えた。
ホーエンリンデンの名だたる勝者が逮捕されたというニュースは、すぐパリ中に広まる。
いくつかの街路の壁には、当局への抗議文が張り出された。
「暴君が、多くの兵士に尊敬される将軍の名声に嫉妬したのだ!」という内容である。
当初はすべてを否認していたモローが、3週間ほど立ってから、第一統領にあてて獄中から以下のような手紙を書いた。
「自分はいくらか軽率であったのかも知れない。しかし、いわゆる”陰謀”にはまったく関係してない」
「事実をすぐに当局に知らせなかったのは、密告が自分の主義に反するからだ」。
これは言外にカドゥーダルやピシュグリュに会ったことを認める弁明書といってよい。
(続く)