Part 2 百日天下
第4章 鷲は飛んで行く
2.北上のコース
夜半に、歩哨が東に向かう軽4輪馬車をとめた。
馬車には紋章があり、乗っているのはモナコ大公だった。
グルーシーやミュラの副官をつとめ、ジョゼフィーヌに仕えたこともあるモナコ大公の顔を、ナポレオンは覚えていた。
最新の情報に飢えているかれは、引きとめて雑談に花を咲かせる。
率いている兵力についてモナコ大公から「すくなくとも2万5千ぐらいはいるのでしょうね」といわれて、ナポレオンは苦笑しながら答えた。
「この野営地にいるのが、わたしの軍隊のすべてだ」
将兵が話にならぬほど少ないのは百も承知である。
当てにしているのは、フランス国内の軍隊とくに下級兵士の自分への忠誠心。
それに国民の熱い支持である。
言い換えれば、戻ってきたブルボン王家にたいする不満と反感。
だから、できるだけ王の軍隊と戦わずにパリに行きたい。
一発の弾丸も撃たずに政権を奪取したい。
ジュアン湾を選んで上陸したのは、カンヌから西は王党色がつよく、ニースから東はオーストリアの支配下にあるからだった。
王党派の勢力がつよいアルル、アヴィニョン、オランジュなどを経由するローヌ川沿いの道を進むつもりはない。
カンヌからグルノーブルまで、アルプスの山道をたどって北上する計画である。
このコースなら、途中に大きな町がなく、駐屯する軍隊もいない。
大軍がすばやく移動できるような道路もない。
机の上に広げた地図をじっと見つめていたナポレオンは、折りたたみ椅子をのばして横になり、外套をぬいで身体の上にかけ、目をつむる。
眠りに入るまえに脳裏にうかんだのは、昔ニースで逮捕されてぶちこまれた牢獄の壁だった。
テルミドールのクーデタのあとで、ロベスピエール派の疑いをかけられたのだ。
あのときは、もうすこしで断頭台に送られるところだった。
あれからもう20年になる‥‥
(続く)