物語
ナポレオン
の時代
アーノット医師は、当初、ヒポコンデリー(心気症)の診断をくだしたものの、やがて疑問を抱くようになる。
患者がコーヒーかすのような黒っぽいものを吐くので、胃潰瘍かもしれないと思いはじめたのだ。
この軍医よりも本人のほうは症状を正確に冷静とらえており、アントンマルキに自分が死んだら解剖して胃をよく調べてみてくれと頼んでいる。
心臓は取り出してアルコールに漬け、パルマにいる妻のマリー・ルイーズに渡してほしいとつけ加えた。
このコルシカ人医師がフィレンツェ大学の解剖学助手であったのを、ひょっとしたら覚えていたのだろう。
あれほど記憶のよかったナポレオンも、この時期になると心もとないものになっていた。
グルゴーやオマーラがまだロングウッドにいると錯覚したり、もう島にいないといわれると、「いつ島を離れたのか?」と、真顔で尋ねたりするのだ。
4月28日、病人のベッドがこれまでの狭い寝室からサロンに移された。
そちらのほうが広いので介護に便利だし、部屋の風通しもよい。
ナポレオンはベッドから降りてガウンをまとい、スリッパをはいて立ち上がろうとするが、こう呟く。
「情けない。脚が立たない」。
モントロンとマルシャンの肩につかまり、やっとのことでサロンのベッドにたどりつく。
ベッドは戦場用の小さなもので、ナポレオンはこれを愛用してセント・ヘレナ島に二つ持参していた。
5月1日、ベルトラン夫人ファニーがベッドのそばに呼ばれた。
ナポレオンは夫人とこのところ疎遠であったのだが、ベルトラン将軍の願いを容れて、生きているうちにかの女に「会う」約束をしていた。
疎遠になったのは、ナポレオンが強引に言い寄ったのをファニーがはねつけたからである。
この日、二人のあいだで短い言葉が交わされたことで和解がなり、ファニーは以後介護を手伝うようになった。