物語
ナポレオン
の時代
5月3日午後、ナポレオンのしゃっくりがおさまり、熱がすこし下がったのを見て、モントロンがヴィニャーリ神父を呼んで、終油の秘蹟を授けさせた。
もはやだれの目にも、病人の最期は迫っている。
ここに至ってアーノット医師は、ショート軍医とミッチェル軍医の派遣をロウ総督に懇請するとともに、自分はロングウッドの図書室に寝泊まりしはじめた。
やって来た両軍医は、アーノットやアントンマルキと相談して、甘こうの投与を決める。
「甘こう」というのは、塩化第一水銀の医薬品名であり、下剤である。
危篤といってよい重病人に下剤を与えたことは、後世の批判を受けたが、当時は甘こうが万能薬のように考えられていて、他に打つ手がないときに用いられたようである。
マルシャンがこれを水に溶かし砂糖を加えて、病人がのどの渇きを訴えたときに、さし出した。
ナポレオンは一口のんで顔をしかめ、吐き出そうとするができない。
夜になって下剤が効いて、しばらくぶりに便通があった。
黒ずんで、ねばねばしたタールのような便で、固まってる部分もある。
これを排泄するのに体力を消耗したナポレオンは、苦しそうにあえいでいた。
しかしアーノット医師はこの便通を喜び、「病人の容態は良くなったようです」と、楽天的に過ぎる報告をプランテーション・ハウスに送っている。
ナポレオンは2日前には便器にまたがることができたのに、いまではベッドから降りることもできない。
マルシャンがアリの助けを借りて、病人の汚物で汚れたシーツを取り替えた。
5月4日、下剤の影響はまだ残っていて、ナポレオンはいくども排便し、そのたびに衰弱の度を加えていく。
うわごとを口ばしるようになった。
なにをいいたいのか、発音が不明瞭でよく分からない。
「フランス、部隊の先頭、息子、ジョゼフィーヌ」などの言葉が聞き取れた、と何人かの者が後になって証言している。
(続く)