Part 2 百日天下
第5章 ドミノ倒し
9.一発の弾丸も撃たずに
1815年3月20日。
前夜の雨は上がって、この日は好天だった。
パリのモーベール広場には早朝から情報を求める群集がつめかけ、皇帝はどこまで来ているのか、いまどこにおられるのか、と尋ね合っていた。
ルイ18世が夜の間に逃げ出したことはすでに知れわたり、パリっ子の物笑いの種になっている。
南の方角から着いた飛脚の三色の帽章に気づいた連中が、乗っている馬を取り囲んだ。
飛脚に握手を求め、ワインをすすめながら、なにかニュースはないかと聞いている。
チュイルリー宮殿の鉄柵の前には、午前10時ごろから相当数の半給士官や兵士たちそれに労働者が押しかけていた。
かれらは口々に「皇帝万歳!」「国民兵を倒せ!」と、叫んでいる。
宮殿警備隊が制止するのを無視して柵をこじあけ、宮殿の中庭に入り込んだ者たちもいる。
ほぼその時刻、ナポレオンはフォンテーヌブローの城館に到着していた。
口元に笑みを浮かべながら、軽い足どりで白馬の中庭の馬蹄形の階段をのぼり、慣れ親しんだ宮殿の中に入る。
休息して昼食をとったナポレオンは、午後2時ごろフォンテーヌブローを発つ。
パリから20キロほど手前のジュヴィシーで小休止を命じたかれは、連隊を閲兵する。
国王軍と一戦を交えるからには、兵力を終結し士気を高めておこうと思ったのだ。
ところが午後7時ごろ、「ブルボン王家パリから逃亡」の情報が届いた。
「結構だ。それなら今夜のうちにチュイルリー宮に入ろう」と、ナポレオンは上機嫌でいう。
当時、戦いをはじめるのは夜明けと決まっており、パリには翌朝着くことにしていた。
その予定を変えて、このまま直行せよと命じたのだ。
20日まえにジュアン湾に上陸したとき、ナポレオンは「できれば戦うことなく、パリまで行きたい。一発の弾丸も撃たずにすませたい」と考えていた。
そのことを、部下のまえで口に出しもした。
その願望がいま叶えられようとしている。
(続く)