Part 2 百日天下
第5章 ドミノ倒し
10.3月20日のチュイルリー
ナポレオンとその軍勢がフォンテーヌブローを出発したころ、パリ市庁舎に三色旗が掲げられた。
皇帝歓迎の意思表示である。
証券取引所では国債の価格が、それまでの68フランから73フランに上昇した。
金融界は王政支持と思われていただけに、意外な成り行きである。
夕刻になると、チュイルリー宮殿にはりっぱな馬車が続々と到着。
馬車から降り立つのは、貴顕の紳士淑女である。
ダヴー元帥、ドクレ提督、帝政末期の外務大臣コーランクール、長く財務大臣だったゴーダン、高級官僚のマレやルニョー、フーシェのあとの警視総監サヴァリ、郵政局長だったラヴァレットなどなど。
かれらは群集をかきわけるようにして中庭を横切り、そそくさと宮殿のなかに姿を消した。
周辺のカルーゼル広場、リヴォリ通り、セーヌの河岸にも野次馬が集まりはじめた。
その数は刻一刻とふえ、一万人以上おそらく二万に近い。
不意に、オルタンス王妃がやってきた。
群集はすぐに気づき、拍手喝采する。
かの女はジョゼフィーヌの娘であり、ナポレオンの弟でオランダ王になったルイと結婚したので「王妃」と呼ばれていた。
いまではルイと別居し、サン・ルー公爵夫人の称号を得てパリで暮らしている。
3月のパリの昼は短く、あたりはすでに暗い。
宮殿や路上の照明に明かりがともされたが、皇帝が着くような気配はない。
群衆は待ちあぐね、苛立ちはじめている。
9時ごろになって、遠くのほうで馬車の音が聞こえた。
コンコルド橋の方向だ。
人びとがかたずをのむうちに、車輪が舗石に立てるゴロゴロという音が近づいてくる。
騎馬の士官に囲まれた大型馬車が、ついに姿を現した。
(続く)