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物語
ナポレオン
の時代

       Part 2  百日天下

   
第13章 亡命 

   10.ベレロフォン号

 1815年7月15日。
 夜中の1時に、ナポレオンはエクス島の軍用宿舎で目覚めた。
 というのも、3日まえにフリゲート艦ラサール号からここに移っていたのだ。
 エリゼ宮を離れてマルメゾンに移ってからは平服で過ごすことが多かったのだが、この朝はベッドから起きると軍服を身につけた。
 近衛隊猟騎兵大佐の制服である。
 胸にはレジオン・ドヌール最高勲章。
 銀の拍車のついたブーツ。おなじみの三角帽子。
 海に出ると風が吹くので、コートを携えていた。
 だれもが知っている青オリーブ色のフロックコートである。

 朝食をすませて軍用宿舎を出たのは午前3時。
 ベケール将軍が言葉をかけてきた。
 「陛下、ベレロフォン号までお供しましょうか?」
 「いや、それには及ばない。わたしをイギリス軍に引き渡したのが貴官だといわれるのはよくない」とナポレオンは応じた。
 この配慮にベケールは感激する。
 将軍の任務は、前皇帝を途中でとり逃がすことなく、政府の望むかたちで国外に出すことである。
 しかし、かつて仕えた主君が権力の座を追われ、いまイギリス海軍に身を委ねようとしているのに同情し、鄭重に挨拶した。
 「陛下、それではここでお別れします。どうかわたしどもよりお幸せに!」

 港の外に停泊している軍艦まで、ブリッグ型帆船レベルヴィエ号がナポレオンと随員やその家族、そして召使いたちを運んでいく。
 船室に腰を下ろしたナポレオンは、自分の上着の袖口をかたわらのモントロン夫人に示し、色が緑か青をたずねた。
 緑色なら猟騎兵の制服であり、青色なら擲弾兵のそれである。
 質問の意外さに驚いた夫人が聞き返すと、同じ問いが戻ってきた。
 「緑でございます」と、夫人は答えた。
 途中で風がばったりと止み、二本マストの帆船レペルヴィエ号の船足がにわかに鈍くなる。
                                                      (続く