Part 1 第一統領ボナパルト
第2章 マレンゴの戦い
4.グラン・サン・ベルナール越え
1800年5月、ボナパルトは対オーストリア戦の指揮をみずからとるべくパリを離れた。
イタリアに進軍するには二つのコースがある。
ひとつは南下して地中海に出て、海沿いに東に向かうというもの。
もうひとつは、スイスに入りアルプス山脈を越えて北イタリアに入るというもの。
しかし5月のアルプスには雪が残っていて、そこを大軍が移動するのはきわめて困難。
オーストリア軍総司令官メラス将軍はそう判断し、ニースに陣取ってフランス軍を待っている。
それをはぐらかすように、ボナパルトはアルプス越えを選んだ。
後になってから、というのは戦闘の結果がわかってからという意味だが、フランスの新聞はこぞって第一統領の大胆さをほめたたえた。
ハンニバルの偉業になぞらえて賞賛した。
しかし二千年まえのポエニ戦争のときとは、動かす兵士の数、装備、火器の種類や重さが違う。
5月13日、ランヌ将軍の第一軍団が先頭にたって、標高2472メートルのグラン・サン・ベルナール峠を登りはじめる。
砲架や車輪は分解してロバにつむ。
8サンチ砲や曲射砲の砲身は、木の幹をくりぬいてなかに入れる。
それをロープにつないでひっぱり上げるのだ。
砲一門のために百名の兵士がロープを引いた。
元気づけのために軍楽隊が音をだし、太鼓をたたいた。
峠のなかほどに達すると、寒気がさすように厳しくなり、濃い霧が一行をつつみこむ。
「注意しろ!」という声が、馬に乗っている士官にとんだ。
「手綱を二本の指だけで持て! 馬が崖から落ちたとき、ひきずられないようにするんだ!」
細い山道には、兵士の長蛇の列がどこまでもつらなっている。
主力部隊がアルプスを越えるのに、ほぼ一週間かかった。
そのあとにも、輜重(しちょう)隊や非戦闘員の列がえんえんと続く。
(続く)