物語
ナポレオン
の時代
シャン・ド・メから数日後、ヴァンドーム広場で第13竜騎兵隊の閲兵式をおえたナポレオンは、エリゼ宮に戻ったところだった。
宮殿の入り口に待っていた士官が、歩み寄って一通の至急報をさしだす。
開封して文面に目を走らせたナポレオンは、足がもつれたように倒れた。
顔に水をふりかけられて気をとりもどしたかれは、なにが起きたのか、すぐには分からぬ様子である。
至急報は、6月1日に(ということは、シャン・ド・メ当日)ベルチエ元帥がバンベルクで死亡したことを告げていた。
バンベルクはバイエルンの町で、かれの妻マリー・エリザベットの父親バイエルン公の城館に、ベルチエは身を寄せていたのだ。
昨年4月にナポレオンが退位したあと、かれはブルボン王家に忠誠を誓い、この3月にはルイ18世を護衛してガンまで行った。
が、なぜか王のもとをすぐ離れフランスに戻ろうとする。
それを知ったオーストリアは、なかば強制的にベルチエをバンベルクに行かせた。
ナポレオンが政権に復帰したいま、長年その幕僚長をつとめたこの有能な参謀がパリに戻るのを、対仏連合軍は警戒したのである。
皇帝のもとに戻ってほしいという要請は、かねて何人かの知人からベルチエにあった。
かれは思い悩み、ふさぎこむ。
そして6月1日、バンベルクの城館の4階の窓から落ちて死んだ。
十中八九、自殺であろう。
心臓あるいは脳の疾患による突然死の可能性は低い。
なぜなら、その窓は床から1メートルほど上にあり、さほど背が高くないベルチエが気を失って外に転落するとは考えられないからである。
(続く)