物語
ナポレオン
の時代
ルイ・アレクサンドル・ベルチエは、革命まえに国王軍に入って順調に出世した軍人である。
ナポレオンよりずっと年長で、初めて両者が会ったのは1796年の第1次イタリア遠征のとき。
すぐにその能力を認められ幕僚長に取り立てられ、以後の18年間、この年下の軍事的天才の下で戦争を遂行しつづけた。
戦場でナポレオンが早口でだす命令は、要点だけの簡略なものにすぎない。
ベルチエの仕事は若い司令官の意図をくみとり、具体的な指示におきかえ、ときには補足し、迅速に関係部隊に伝達すること。
戦場に電話も無線もない時代、これは簡単なことでない。
必要な弾薬や食料を確保し、将兵の宿割りをする責任も幕僚長にある。
情報を収集し、分析し、それをナポレオンに報告する。
緻密な頭脳と几帳面な性格をもつベルチエは、こうしたことすべてを遺漏なく完璧にやってのけた。
その労苦に報いるべく、ナポレオンはこの有能なコーディネーターを陸軍大臣にし、元帥にし、ヌーシャテル公にし、ワグラム公にする。
公(プリンス)は最高位の爵位であり、その地位には莫大な収入が付随する。
栄誉と富を得たベルチエは、いつのころからか休息と安寧を欲するようになった。
しかし、1815年のナポレオンの政権復帰はかれを難しい状況に投げ込む。
思い悩んだベルチエは自殺した。
それを知った皇帝が大きな衝撃を受けたことに、誰もが驚いた。
迷信深いコルシカ人らしく、不吉な前兆とみて悲観したのだ、と説明する者がいる。
ナポレオンの肉体的衰えは年齢以上のものがあり、すでにいくつもの疾患をかかえていたので、わずかなことで神経発作を起こしたのだろう、と考える者もいる。
いずれにせよ確実なのは、次の戦争に有能無比のベルチエがいないことだ。
(続く)