物語
ナポレオン
の時代
夕食のあとで、ラス・カーズは母屋に行って来客がいないことを確かめてくる。
それからナポレオンが出かけて行って、バルコーム家の団らんに加わる。
多くの場合、一家のあるじは長椅子に横たわり、痛風の足をスツールにのせていた。
夫人と二人の娘がそのまわりに腰かけおしゃべりをしたり、歌をうたったりしている。
姉娘のジェーンはおとなしかったが、妹のエリザベス(ベッツイ)は陽気で活発だった。
ベッツイは噂に聞いていた「コルシカの人食い鬼」をしげしげと観察する。
「ナポレオンの顔は死人のように蒼白かったのです」と、かの女は後になって回想している。
「でも、その冷たさと平静さに加えてなにかしら厳しいところがあり、わたしにはたいへん美しいと感じられました。 ナポレオンが話をはじめると、その魅力的な微笑となめらかな動作で、それまでわたしが抱いていた恐怖心はすっかり消えました」
ナポレオンのほうでも、ものおじせずに自分を見つめる14歳のイギリス娘を気に入ったようである。
ベッツイの女友だちが名高い「おそろしく邪悪な男」をひと目みたいと訪ねてきたときには、かれは髪をバラバラに乱し、しかめっ面をつくり、うなり声をあげておどかそうとした。
女友だちは悲鳴を残して逃げさったが、お転婆なベッツイのほうはケロリとして笑っている。
ナポレオンはこんな話題を選ぶこともあった。
「フランスの首府はどこだろう?」
「パリです」
「ロシアの首府は?」
「サンクト・ペテルブルグ。以前はモスクワだったけれど‥‥」
「モスクワを焼いたのはだれだろう?
「わかりません」
ナポレオンは声をあげて笑った。
「いや、いや、きみは知っている。モスクワを焼いたのは、このわたしだ」
熱帯では、夜の訪れるのが早い。
暗闇から聞こえてくるのは、滝の音とコオロギの鳴き声だけである。
監視のイギリス兵二人は、その暗闇のなかで、ブライヤーズ荘に近づきすぎぬように気をくばりながら、遅くまで巡回していた。
(続く)
この時代には、映画もありませんし、テレビやパソコンなどもちろん存在しません。
日が暮れてから寝るまで、人びとはなにをしていたのでしょうか?
会話をする。楽器の演奏や歌を聞いて楽しむ。本の朗読に耳を傾ける。トランプに興ずる。
およそ、こんなところでしょう。
いわゆる「団らん」です。