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物語
ナポレオン
の時代

       Part 3 セント・ヘレナ

   
第1章 上陸 

   6.ナポレオンの懐ぐあい

 ところで、ブライアーズ荘の離れの賃貸料や、ジェームズタウンからとりよせた夕食の代金はだれが払ったのか?  
 ナポレオンである。
 つまりは、流刑になった国事犯が自由に使える金を持っていたわけである。

 ノーサンバランド号でイギリスを離陸するとすぐ、コックバーン提督はナポレオンの所持品すべてを点検させている。
 そのさい、書物・銀の食器・かさばらぬ生活必需品などは大目に見た。
 しかし、ナポレオン金貨4000枚(8万フランに相当)は預かり証と引きかえに押収している。
 銀貨・紙幣・宝石などは、このような事態を予想した随員たちがあらかじめ手分けし、各自のベルトに縫い込んだりして隠しもっていた。
 この「隠し財産」は、上陸後にひそかに回収され保管された。
 保管責任者は、意外にも従僕のマルシャンである。
 研究者の推定では、その総額は約25万フラン。
 イギリス側に押収された8万フランと合計すると、33万フランになる。
 潤沢なポケットマネーといえる。
 なお、ナポレオンにはこれ以外にも兄弟や信頼する人間に預けた金があったが、その詳細は省く。

 英国政府はセント・ヘレナ島でのナポレオンのその随員・召使いの生活費として、年に8000ポンドの予算をくんでいた。
 ただし随員は3名、召使いは6名、ほかに医師1名まで、という制限がつけられている。
 ナポレオンはその制限を守らず、随員4名とその家族、10名以上の召使いを連れてきた。
 英国政府はそれを黙認したが、プラス・アルファ分の費用は自分持ちというのが、双方の暗黙の了解である。

 随員と召使いのなかには、ひたすら主君への忠誠心からセント・ヘレナ島まで同行した者もいる。
 とはいえ、ヨーロッパから遠隔の熱帯の島で、期間不明の不自由な生活を送るのである。
 なんの見返りも期待していなかったといえば、嘘になるだろう。
 なかにははっきりと欲得ずくでついて来た人間もいる。
 レアリストのナポレオンはもちろんそれを承知しており、全員に相応の手当を出すつもりでいた。
                                          (続く

   「ナポレオン金貨」というのは、かれの肖像が刻まれた20フラン金貨です。
   19世紀のフランスでは広く流通し、尊重されていました。
    なお、当時の1フランが現在の日本円でいくらになるかは、頭の痛い問題です。
   かなり大雑把な見積もりですが、マア500円から1000円でしょうか。
    このレートで換算するなら、33万フランは1億数千万円〜3億円強ということになります。