Part 3 セント・ヘレナ
第1章 上陸
4.ブライヤーズ荘
翌朝そうそう、コックバーン提督がポーティアス・ハウスにやってきた。
補修工事が終わりしだい移るロングウッドの家に案内したい、というのである。
ナポレオンは了承し、ベルトラン将軍とアリを伴って外出した。
アリはアラブ人でない。生粋のフランス人なのだが、「マムルーク」として長くナポレオンに仕えてきた馬丁兼ボディー・ガードである。
提督の副官を含めての5人は、馬首をならべて町を出、山間部に入っていく。
ロングウッドは、ジェームズタウンから見ると、東南の方向にある台地である。
標高は550メートルほど。面積は約60ヘクタール。
道は勾配が急で、5人はまもなく汗ばむ。
長い航海で運動不足のナポレオンは、むしろ爽快な気分であった。
ロングウッドにたつ建物は、島の副総督スケルトン中佐が、いまは夏の別荘として使用している。
今日のことを予告されていた中佐とその夫人は、愛想よく一行を歓待し昼食をふるまった。
ナポレオンは周囲の広い空間を見て、これならまずまずだと思う。
後になって分かるのだが、ロングウッドが快適なのは夏期だけなのである。
帰り道で、「坂の下の谷間に見えるあの家を訪ねてみたい」とナポレオンがとつぜんいいだす。
じつは来る途中で、谷の下に緑豊かな一角があるのに目をとめ、帰りに立ち寄ろうと心に決めていたのだ。
家の名前は「ブライヤーズ荘」。
東インド会社の御用商人ウィリアム・バルコームの住まいだった。
コックバーン提督とナポレオンが闖入したとき、痛風もちのバルコームはベッドに横になっていたが、夫人と二人の娘は庭に出ていた。
初対面の挨拶を交わしながら、ナポレオンは母屋に隣接する2階建ての離れに鋭い視線を向けている。 単刀直入がかれの流儀であり、いきなり尋ねた。
「あの離れにはどなたが住んでいるのですか?」
以前は子どもたちの遊び部屋で、雨の日にお茶を飲むこともあったが、いまは空いている、というのが返事である。
それを聞くと、ナポレオンはコックバーン提督を見やりながら、「あの離れをお借りしたい」と申し入れた。
(続く)