物語
ナポレオン
の時代
フランス側でバーデン公国に近いのは「バ・ラン」県である。
この県の知事が憲兵をひそかにバーデン領内に行かせ、聞き込みをさせた。
憲兵の報告によれば、アンギャン公の屋敷に出入りする者のなかに、デュムリエやスペンサー・スミスがいるという。
デュムリエは革命時に活躍した軍人で陸軍大臣になったこともあるが、王党派側に寝返りオーストリア軍に走った人物。
スペンサー・スミスはシュツットガルト駐在イギリス公使だが、それは肩書きにすぎず、真の仕事は諜報と反仏活動家の支援である。
憲兵がこうした情報をえたのは、バーデンのホテルの主人からだった。
主人が口にした名前は、後になって判明したところでは、チュメリーとシュミットである。
アンギャン公にとって不運なことに、フランスの憲兵はそれを「デュムリエ」「スミス」と聞いた。
相手がドイツ語をしゃべるので、人名もドイツ語風に発音したのだろうと早合点したのである。
報告は「バ・ラン」県の知事からパリに送られ、レアルを経由して第一統領に上げられた。
これが3月8日。
同じ日に、モローが獄中から出した手紙がチュイルリー宮に届いている。
翌・3月9日、パリ警察に緊張が走った。
ふくろう党(シュアン)の大物指導者カドゥーダルが見つかったのだ。
かれはあたりが薄暗くなる時刻にサント・ジュヌヴィエーヴの丘の隠れ家を出て、手下のレリダンが見つけてきた二輪馬車に乗り込んだ。
そこを張りこんでいた刑事たちに目撃されたのである。
馬車はカルチエ・ラタンをくだり、サン・ジェルマン大通りを横切り、ビュッシィ十字路にさしかかった。
十字路は行きかう人や馬車で混み合っていて馬車は停まる。そこに刑事たちが突進した。
カドゥーダルとレリダンは猛然と抵抗したので、刑事のひとりが致命傷を受ける。
しかし、なんとか逮捕することができた。
(続く)