物語
ナポレオン
の時代
カドゥーダルやピシュグリュのような大物が、パリに潜入して陰謀を企てている。
モローもどうやら一枚かんでいる。ピシュグリュの居場所はまったくわからない。
その上、アンギャン公というブルボン家の貴公子。
ボナパルトは駆り立てられる獲物のような気持ちになっていた。
いつどこから弾丸がとんでくるかわからない。
カドゥーダルが逮捕された翌日、チュイルリー宮で1ヶ月まえと同じような会議が開かれた。
出席したのは、他の二人の統領とタレーランとフーシェ。今回は法務大臣のレニエが加わっている。
この3月10日の議題は、「アンギャン公をどうするか」である。
ボナパルトの腹案は、公をバーデンから誘拐しパリに連行するというもの。
タレーランがそれにあっさり賛成した。
そもそもアンギャン公の名前を最初に口にして、危険な存在になりうると示唆したのはタレーランである。
もっとも、外務大臣としての立場から、公の誘拐はバーデン公国内ではなく、フランス国内たとえばストラスブールでなされるべきだとも述べた。
調べてみたら、この貴公子はストラスブールによく出かけるようである。
フーシェもボナパルトの案に同意した。珍しいことに、タレーランと意見が一致したのである。
フーシェが賛同した理由は、すこしいりくんでいる。
現政権すなわち統領政府は、大革命の原則をいまも信じる者たちと、革命精神そのものを認めない者たちの微妙な均衡の上に立っている。かんたんにいえば、ジャコバン派と王党派の均衡の上に立っている。
それを象徴的に示しているのが、第2統領と第3統領である。第2統領カンバセレスは革新派の代表として選ばれ、第3統領ルブランは守旧派の代表として選ばれた。
この両派の微妙なバランスの上に、第1統領ボナパルトが乗っている。
発足当初、ボナパルトの政府は中道左派路線を歩んでいた。1年たち、2年たつうちに、コンコルダが結ばれ、多数のエミグレ(亡命貴族)が帰国し、さらにボナパルト自身が終身統領になった。
統領政府はかなり右寄りになった。
そのことがフーシェには気に入らない。
(続く)