Part 2 百日天下
第2章 脱出
1.オーストリア皇帝のおもわく
マリー・ルイーズはウィーンに戻ると、大叔母マリア・カロリーナを子どもをつれて表敬訪問した。
マリア・カロリーナはマリー・アントワネットの姉で、前ナポリ王国の王妃。
この老婦人は「女は結婚したら、夫に一生つかえるものです。あなたも窓に結んだ毛布でもたらしてこんなところから逃げ出したらどうですか」と、ズバリ苦言を呈する。
マリー・ルイーズは返答に窮した。
かの女にそのような冒険はとうてい無理である
夏が近づくと、マリー・ルイーズはエクス・レ・バンの温泉に保養に行きたいといいだした。
フランツ2世は娘がそこからエルバ島に渡ってしまうことを警戒し、「護衛役」という名目の見張り人をつけることにした。
選ばれた護衛役はナイペルク伯爵。
ナイペルクは39歳の将軍であり、軍事面のみならず外交面でも秀でた能力をもつ人物として知られている。
フランツ2世は、ナイペルクの勤務先パヴィアに、つぎのような趣旨の指示を書き送った。
「娘をエルバ島に行かせないようにしてほしい。そのためにどのような手段を講じてもかまわない」。
ナイペルク将軍は戦場で失明した右目を黒い眼帯でおおっているが、洗練された物腰をもちレディ・キラーの噂のある男性である。
それを承知のうえで、フランツ2世は「どのような手段を講じてもかまわない」と指示したのである。
6月下旬、マリー・ルイーズはコロルノ公爵夫人という偽名をつかい、秘書や医者、朗読係りや侍女などをつれて、エクス・レ・バンに出発した。
温泉地に逗留するうちに、かの女は徐々にナイペルクを信頼するようになり、9月下旬にウィーンに戻ったときには、この男性とのあいだにある秘密を共有していた。
二人が特別の関係になったのは、温泉地からの帰途、スイスのルツェルンに近い山の旅館ゴルデネン・ゾンネに、激しい風雨を避けて宿泊したときである。
ある意味で、オーストリア皇帝のおもわくどおりになったわけである。
(続く)