本文へスキップ

物語
ナポレオン
の時代

       Part 2  百日天下

    
第2章 脱出

    2.妹ポーリーヌ 

 11月1日、ナポレオンの妹ポーリーヌがナポリから船でエルバ島にやってきた。
 兄のそばに、母とともに、しばらく滞在するためである。
 何ヶ月かの生活で必要なものをチェックするため、かの女はすでに6月に島に渡って1泊していた。

 ナポレオンには、年齢順にエリザ、ポーリーヌ、カロリーヌの3人の妹がいて、まん中のポーリーヌはこの1814年に34歳。
 3人の妹のなかでいちばんの美人で、性格は快活。目立つのが好きで、人の意表をつく言動で知られている。
 その美貌と均整のとれた姿態は、イタリアの彫刻家カノーヴァが残した半裸の大理石像で知ることができる。
 「相手が芸術家でも、よくそんな軽装でポーズをとったわね」と、知人にいわれたポーリーヌは、笑いながら答えた。
 「部屋にはりっぱな暖炉があったから、ぜんぜん寒くなかったわ」

 16歳のときに、兄の部下のルクレール将軍と結婚したが、夫は数年後にサン・ドマング島で黄熱病にかかって死亡。
 翌年、かの女はイタリアの名門貴族
ボルゲーゼ家のカミッロ・ボルゲーゼ大公と再婚した。
 ボルゲーゼ大公妃と呼ばれる身分になったわけだが、カミッロとの夫婦関係は、いまではうわべだけのものになっていた。
 というのも、ポーリーヌはいわゆる「恋多き女」であり、帽子でも代えるように平気で男をつぎつぎに代える。
 人がなんと噂しようと、まったく気にしない。つねに自分の好き勝手にふるまうのである。

 妹の到着を歓迎して、ナポレオンはムリーニ邸で舞踏会をひらいた。
 ポーリーヌはこの屋敷の2階に暮らすことになったが、舞踏会の晩、黒のヴェルヴェットのドレスで
で下に降りてきた。
 兄がその服装を気に入らないと見て取ると、すぐに着替えるために二階に戻る。
 わがままで勝ち気なかの女が、エルバ島の兄に対してだけは深い敬意を払おうとした。
 なおナポレオンの7人いる兄弟・妹のなかで、この島まであいにきたのはポーリーヌだけである。
                                                         (続く